2006年の8月日記


【ひとこと】

よし。 お前は笑顔がまぶしいから笑うな。[0814] / 今年の夏は、仕事の山とネットの海にでかけました。[0821] / 芸術とは 感性を刺激させるための技術。[0904] /


ちょっくら逃避の旅に出ておりました。
詳細は後日ご報告する方向で、ひとつ。


8月31日(木)[本日の独言(ひとこと)]

先日の24日。プラハで開かれていた国際天文学連合の総会で「従来の太陽系惑星9個から冥王星を除外し、水星から海王星までの8個とする定義の決議案」が可決されました。 これで太陽系の惑星は1個なくなり、「水・金・地・火・木・土・天・海」という何となく落ち着かない感じになりました。

(元)冥王星というのは、ご存じの通り太陽系で地球から最も遠かった惑星であり、唯一探査衛星も接近していない小さな星でした。 1930年にアメリカ人が発見したもので、ディズニーの「プルート」の名前の由来にもなっています。 惑星の座から格下げされたことへの影響としてはあまりなく、教科書と占星術くらいのものではないかと言われています。

占星術の話を少し書きますと、西洋占星術の基本的な占術方法は「12の部屋に分割された天地の中で、対象者の誕生時における12星座(いわゆる12宮)と10星(太陽・月・水・金・火・木・土・天・海・冥)の位置」に由来しています。 対象者が生まれた瞬間、空にあった星座と星、そして足の下にあった星座と星の場所で、性格や人生を知ろうというものなのです。

例えば私の場合、1977年12月25日22時48分奈良県生まれなのですが、その時太陽は4室の山羊座の位置にあり、月は10室の蟹座の位置にありました。 いわゆる簡易的な「星占い」に使われているのは、この太陽の位置にあった星座を見ているので、私は「山羊座」とされているのですが、実際の占星術はこの様に他の星との複雑な絡みも見て判断されるものなのです。その材料のひとつに冥王星も重要な拘わりをもっているのです。 私は2室の天秤座に冥王星を持っているので、マニアなのに所有欲はなく、お金もないクセに気前はいい、という風にトンチンカンな性格が大体見えてくる訳です。

で、まあ占星術といっても星々の重力やら輝きやらを見る訳ではなく、こんな感じに理詰めで展開されるものなので、冥王星が冥王星じゃなくなったからといっても、説得力が弱まる位で大して問題にはならないかと私は思います。 あるいはその説得力が重要なのかも知れませんが。 しかし、天王、海王、冥王ときて、次は何が来るのかとひそかに期待していましたが、まさか1個減るとは思いませんでした。 何億年も前から存在する星々の存在に比べると、人の手による分類はひどく曖昧なもののようです。


8月21日(月)「配慮とお盆」

[本日の配慮足らず]

ゴキブリは、駆除剤に描かれているイラストの時点で、恐い。


[本日の独言(ひとこと)]

リアルに、「幽霊とか亡霊とかを信じているのか?」という質問を何度かされた事があるのですが、私の考えとしては「いたら面白いと思うし、思わせるものはある」というものを持っています。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉があります。 夜道で女の幽霊に出会い腰を抜かしたが、よく見れば枯れたススキがうなだれているだけだった。 正体を知れば恐くなくなる、あるいは恐いと思っていれば何でも怖ろしいものに見えてしまうという事のたとえですが、私はそれに加えて、「恐いと思っていれば、ススキも女の幽霊になる」としています。 人の思いというのは内側だけに留まらず、外側にも影響を及ぼすと考えています。

その一番身近なものに宗教があります。 神や仏と幽霊を結びつけるのは不遜な事なのかも知れませんが、こと仏教においては結構その辺りの境界はあいまいにしていると思います。 そもそも死ねばホトケになるという発想自体そうでしょう。 仏壇に手を合わせる、神棚に向かって手を打つ、磔のイエスに十字を切る。 これらの行いは木製や石製の祭壇や偶像に、物質以上の意思が感じられるが故に続けられ、溜め込まれていくものです。 仏壇には亡くなった者がいるのではなく、亡くなった者を思う多くの人の思いが残っています。

あるいは、人の顔や姿をもった路傍の石や木、また長年愛玩してきた人形を見て感じる一種の気味の悪さも、その物質ではなく、溜め込まれた多くの意識によるものだと考えています。 幽霊とはそういう存在だと私は思っています。

事実がどうかは知りませんが、霊能力者とかではない私が分かるのはその辺りまでだと、お盆に実家の仏壇に手を合わせながら思いました。 個人としては宗教観はなく、仏壇にいる祖父母とも面識のない私が合掌の間に感じている力は、他の家族によって溜め込まれた紛れもない「外側からの意識」でした。 それを幽霊というならば、彼らは確かに存在しています。



8月14日(月)「キレイな自由研究」


【本日の実家にあったもの】



「石田純一のもっとキレイになりましょう!」


[本日の独言(ひとこと)]

ネット世界に流行はあっても季節はない、と思われがちですが、近頃は結構、時節に合わせて盛り上げようとする試みは行われているようです。 先進性や話題性ばかりを見せるだけでなく、夏には夏の装い(デザイン)とともにイベントやショッピングなどのネタを積極的に展開する。主要なポータル(玄関)サイト(って訳し方も常々どうかと思っているのですが)は目新しさと共に、より幅広い人々に日常の一部として使って貰いたいという思いが見られます。

近頃の季節ネタといえば「自由研究」。ここ数年に渡りポータルサイトやメーカー系の企業サイトの恒例として、小学生の夏休みの宿題に向けて理科や工作へと繋がる研究のアイデアや課題などを特集しています。 「シャボン玉を作ってみよう」や「豆本を作ってみよう」などありがちなものもあれば、「牛乳パックで手漉(す)きのハガキを作ろう」や「スピーカーを作ろう」など、大人としても興味の惹かれる工作も取り扱っているようです。 Yahoo!では「光通信を作ってみよう」といういかにもなものもあり、これは読み物としても楽しめました。

夏休みの宿題もインターネット頼みというのは、なかなか時代を感じさせられます。 理科室や図書室に通いつめたり、野山やホームセンターをさまよい歩いたりして自由研究に取り組んだ世代としては、「自分で調べろ」とも言いたくなりますが、映像や音楽と共に知りたいことを正しく教えてくれるメディアがあるというのは、どう考えてもお手軽さ以上のメリットが感じられるので、これはこれで良しとするべきだと思っております。 近頃は学校に辞書に持ち込むと、先生から「電子辞書を使え」と怒られることもあるそうですし、こういう教育を受けた人が成長すると、また自分達とは違った価値観を見出せるのだろうなと思うと楽しみだったりもします。

以上、夏なのにインターネットしか話題がない私でした。


8月7日(月)「青春を打ち込むことすら許されなかった」



(C)CNN

ちょっと珍しい3ショット。
左からジョン・アーヴィング、J・K・ローリング、スティーブン・キング。
全員手の位置が微妙です。


[本日の独言(ひとこと)]

とあるネットの投稿記事で「大人になってから逆上がりしたことあります?」と質問がありました。 3歳と5歳の娘を持つ30代の主婦からの投稿で、ママ友達とそういう話になったので実際にやってみたら、いつの間にか全然できなくなってしまっていたという内容でした。

なるほど。 言われてみれば逆上がり、というか鉄棒を握らなくなってもう随分経っています。 その記事にも多くのコメントが寄せられていましたが、やはり近い年代の人達の多くは「できなくなっていた」という結果にまとまっていました。 その理由としては筋力の低下と体重の増加。 体重の増加というのは奥様のジョークというわけではなく、結局鉄棒や器械体操などは小さくて軽い子供の方が向いており扱いやすく、大きくなってからは自分の体重を支えるだけでも結構筋肉を付けないといけないようです。 先の逆上がりの記事の投稿にも、20代の女性でもできない人はいるのに、小柄で活発な60代の人ができたという発言がありました。 鉄棒もゴルフの様に、年齢の差がでにくい生涯スポーツなのかも知れません。

私自身の話になると、逆上がりなんて正直、人生で一度もできたことがありません。 今も、実際にやってはいませんが絶対にできない自信を持っています。 幼い頃から運動が苦手で、体育の授業では何一つとしてうまくできた競技はありませんでした。 苦手だからしない、しないから上手くならない、筋肉もつかない。 そんな悪循環の中、小学生の頃から劣等感と世間の不平等さを叩き込まれて今に至っています。 あの頃の、苦い思い出。そろそろ鉄棒にチャレンジするのもいいかも知れません。 もうちょっと、涼しくなれば。

ちなみにスポーツは全般的に苦手ですが、唯一フェンシングだけはそれなりに扱うことができます。 もう随分やっていませんが。 あと馬も普通に乗って走らせることくらいはできます。 スポーツが苦手だった私の処世術は、皆があまり知らない競技に打ち込んで見返すこと。 運動オンチの方や、そんな子を持つ親御さんには、そういうポジティブな「逃げ道」もあることをお伝えいたします。 どうにでもなるもんです。


8月2日(水)「お前らはマンガのそれか」


林丹丹?


【本日のひねハラ】

例えば、男同士や女同士であったとしても、聞きたくないエロ話を聞かされたり、言いたくもないエロ話を言わされるようなセクハラもあると思うのだが、どうか。
なんて言うか、「別にお前とエロ話なんてしたくない」と言うか。 でも露骨に嫌な顔をすると「ノリが悪い」とかいうふしぎなレッテルを貼られたりもしそうで。 パワハラに近いかも知れない。 上下関係のない、つきあいという名のパワハラ。 そんな関係ってないですか? パワハラのなりひら。


【本日のブログ】

「六本木ヒルズ最上階に住む関口会長の華麗ライフ」


競馬をやらない私は知りませんでしたが、業界では有名な馬主さんだそうです。 いかにもなビジュアルに「ワシな、ホンマに肉が好きなんや。」ってセリフが効いてます。 「華麗ライフ」ってネーミングも素敵。 間に「な」を入れないだけで一気に大衆食堂の親しみやすさが感じられます。 カレーライフ師匠。

お金に縁もなくお肉も苦手な私ですが、やっぱり世のお金持ちさんにはこれ位の分かりやすいスタイルで望んでもらいたいと思っております。 「実はお金持ち」とか「庶民派の大富豪」とかは、かえっていやらしいです。 この人とか、元ライブドア社長の堀なんとかさん(忘れた)みたいに、お金を持っている人は持っているなりのスタイルを示していいと思うのです。

ボクシングの亀田くんもそうですね。 無礼だとか怪しい強さだとか言われていますけど、だってそもそも殴り合いが仕事じゃないですか。 そりゃ無礼ですし胡散臭いですよ。 礼儀正しいけど弱いボクサーとかよりはよっぽど頑張ってると思いますよ。 まあボクシングが大嫌いな私にはよく分かりませんが。

何だかホメてんのかケナしてんのか分からないお話。 彼らが成功している理由もひとえに「分かりやすい」から。 そして私は眉間にシワを寄せてもそもそパセリをかじる毎日です。 


でもこういう人らって、きまってベタベタの関西弁ね。