2007年の1月日記


【ひとこと】

ああ、この正月の白々しい雰囲気ときたら![0105] / 「夢がある」人はだいたい身勝手。 「夢がない」人はだいたい卑屈。[0115] / アウトローの条件は、人に甘く、自分に厳しく。[0122] / 金メダルを噛むポーズって、カッコイイと思ってるのかな[0129] / 発覚! ないない大事件。[0205] /



1月29日(月)「そこらへんのセカイ系」

【用語:セカイ系】

SF小説などにおいて、主人公およびその近辺の人間たちの行動が、全人類・全世界に大きな影響を及ぼし、時にはその命運までもを左右してしまうもの。 言葉の発祥はアニメやライトノベル関係。 古くは海外SF小説などからも使われていたが、「新世紀エヴァンゲリオン」以降メジャーになった思われる。 ……らしい。


先日は難波であった知人のライブを観に行ったのですが、客席でダラダラとしていたら、ふいに参加バンドでドラムをやっていた女性がツカツカと寄って来て、「国際大で『悪魔神官』をされてた方ですよね?」と言われました。 言葉だけでは何のことやら分かりませんが、国際大というのは私の出身大学で、悪魔神官というのはその当時やっていたバンドの名前です。 話によるとその女性は同系列の女子大出身で、私は全然覚えていなかったのですが、かつて一緒にライブもしたことがあるので知っていたそうです。 いきなり7年も前にやっていたふざけたバンドの話をされて驚かされたワケですが、まあ懐かしいやら恥ずかしいやら。 でも今でも名前も顔も覚えておいて頂けていることには素直に嬉しかったりもしています。 当時は女子大内でも結構評判であったらしい。 その言葉、7年前に聞きたかったぞ。 ちなみにホームページはもうすぐ9年目に入ります。




[本日の独言(ひとこと)]

前に私は、拙著「やがて世界は詩に至る」において、「自分が世界の中心にある」という思想めいたものを表現したことがあるのですが、それに絡む話をひとつ。

今、私の大阪の住まいの隣りでは店舗の改装工事が行われています。 これまで入っていたある店が閉店し、今度また新しい店がオープンするようです。

私は数年前にこの場所に引っ越してきたのですが、当時その場所には居酒屋が店を開いていました。 一度入ったこともありますが、イスの数がカウンター席とテーブル席とを合わせても10脚程度しかない小さな所で、ダンナさんとオカミさんの二人が切り盛りしていました。

私がそこに越してきた際も、周囲の人たちからはその店のことが話題となり、「これからは毎晩通えるな」などとも言われたりしました。 ただ私は普段お酒を飲まないので「あっても行かないでしょうねえ」などと気軽に応えてしまいました。 応えてしまったのです。

すると数ヶ月後、そのお店は閉店となり、店は空き店舗となりました。 夫婦は数百メートル離れた別の通りで新たに店を構えなおしたようです。

その後、私は仕事がらみで「コーヒーを使った企画」を考えることがありました。 コーヒーの資料や文献を読み漁り、豆の種類、焙煎の方法、挽き方、淹れ方、飲み方などを勉強しつつ、ああでもないこうでもないと考える日々が続いてしまいました。 続いてしまったのです。

するとその空き店舗には、新たにコーヒーの豆屋さんが入りました。

不思議なこともあるものだと思いつつ、私は毎日店を眺めて過ごしていました。 企画はその後、まあ通ったり通らなかったりして、一応は終了を迎え私のコーヒー勉強も終わってしまいました。

するとその半年後、そのコーヒー豆屋さんは閉店となりました。 一年もったかもたないか。 あまりコーヒー豆を必要とはしない土地柄だとは思っていましたが、あまりにも早い見切り。 店はまたまた空き店舗となりました。

その後しばらくはまた空きが続いていましたが、先日、私は数人の方との雑談の中で、なぜか「カレーライスとカレーうどんのどっちがうまいか?」という話し合いに巻き込まれてしまいました。 ただ私は辛いのが苦手で、カレーそのものもあまり好きではありません。 だから「どちらかと言えば、カレーうどんの方が辛くなさそうだからいいな」と言ってしまいました。 言ってしまったのです。

お陰で、来月からうちの隣にカレーうどん屋さんがオープンすることとなりました。

私は運命論者ではなく、未来の出来事が既に決定付けられているとも思ってはいません。 ただこの宇宙に「偶然」というものはなく、環境や歴史などから「必然的」に未来は作られており、人にはそれが見えないだけであると考えています。 その積み重なる必然の産物として、私とあの店はリンクしており、見かけ上その支配権は私に委ねられているようなのです。

オープンしたらたまには通ってあげようかと思います。 しかしそう思う私の心理も「必然」のひとつなのでしょう。


1月25日(木)「ゴラクのグチ」

【本日の一攫千金】

マカオ。 カジノ売り上げ8400億円でベガスを抜き世界一。

やるなマカオ。 でも日本のパチンコ産業は
およそ30兆円市場です。
どう見ても、カジノの方が面白そうなのになあ。


【本日の下戸の主張】

近頃は、よく耳にする「愛の東京コール」(音アリ注意)の「飲んで飲んで飲んで♪」の歌に
イラっとしている私です。

これまた
下戸の完全否定。
お酒を飲んでもしんどくなるばかりの私にとっては
「死んで死んで死んで♪」と言われているようなもので、なんというか、ちょっとお前らそこに並べって気分にさせられる歌なのです。

酒と人類とのかかわりは非常に古くて、中国では紀元前7000年の遺跡から出土した陶器にも醸造酒の成分が検出されたという報告もあります。 酒、すなわち、人。 酒の歴史はイコール人類の歴史でもあり、それにともない歌も音楽もたくさん生まれました。 そもそも歌謡なんてのも、酒の席を盛り上げるためにできたと言っても過言ではないでしょう。 演歌にも酒はつきものです。 数多くの英雄譚も失敗談も、戯曲も小説も映画も、みんな酒があったからこそこれだけ豊かになったのかも知れません。

だからって、ちょっと下戸には厳しすぎやしませんかい?

もうね。 
世の中とりあえず「酒ありき」なんですよ。 パーッとしようと、しっぽりしようと、酒なんですよ。 大漁だと酒だし、豊作でも酒だし、打ち上げでも酒だし、ちょっと一杯のつもりでも酒なんですよ。 そして、「酔った勢い」なら皆も寛大なんですよ。 法律ですら緩いんですよ。 飲酒運転だって、免取り罰金30万円、ところによっては懲戒免職、たったその程度です。 死刑や無期懲役にもならないのよ。 だって皆、お酒が好きなんだもの。 圧倒的なサイレントマジョリティが法を甘くしているんです。

だから、「酒=娯楽」となって、
「素面=日常」となるんです。 日常が素面ということではなく、素面だと日常ということです。 素面でバカなことしたら変人になるんです。 私が今回言いたいのはここです。 下戸だと素面でバカなこともできるし、玄米茶で本音も言えるし、コカコーラで馴れ馴れしくもできるんです。 でも世間じゃダメなんです。 「酒も飲んでないのに」ってなるんです。 不快にすらさせてしまうんです。 じゃあ酒の飲めない私は、どこであなたと仲良くなれと言うのですか!

まあつまり、
うらやましいのよね。 「楽しい酒」というのを飲んでみたいのよね。
パーッとなってゲラゲラしたいのよね。 「飲んで飲んで飲んで♪」とか言われたら「えー参ったなあ」とか言いつつガブガブ飲んで「すごーい♪」とか言われてみたいのよね。 
言ってくれる人もいないけどさ。 同僚から「部長もなあ」とか言われたいのよね。 同僚も部長もいないけどさ。 でも、ダメなのよ。 全部ぎこちないのよ私。 だってシラフだもの。 ついていけないもの。 ごめんねこんなモヤシ野郎で。 シケシケのワイで。 うん、大丈夫よ、酔ってないから。 酔うワケないだろ馬鹿!

「酔い止め」があって
「酔い増し」がないのも、つまりそういう事なのです。
身近な下戸のSOS、聞いてあげてください。(本日のキャッチコピー)


1月22日(月)「スーパーレモンという飴もあった」

【本日のYoutube】

「仮面ライダー スーパー1 オープニング」

好きな仮面ライダーで世代が分かるというのもありますが、私の場合はこの
「スーパー1」一沢になります。 これまでのライダーイメージを打ち破る、銀のボディにスズメバチの顔。 子供心をキュンキュンさせるメカニックさと空手スタイル。 「ズキューン」という安っぽい音の後にサビから入るオープニング曲。 覚えやすく分かりやすすぎるカラフルな歌詞。 素敵、素敵。 未だにこいつを超えるライダーは現れていないと思うのは、単に私の「幼心の君」の仕業でしかないと思う。 でもいいんだ。 畜生、今見るとダッサいなあ!


[本日の独言(ひとこと)]

私は冬場によく「のど飴」を舐めているのですが、近頃はずいぶんと色んな種類ののど飴が売られるようになりました。 定番のハッカは押され気味で、レモンに代表されるフルーツ味のものが多く、その中でも「シークワサー」や「カムカム」など、関西ではなじみの薄い果物も登場しています。 「シークワサー」はまだしも「カムカム」なんて、実際にどんな味のものかも分かりませんから、「この味がそうだ」と言われたら「そうか」と言うしかありません。 またビタミンCの含有をうたっているものも多く、その量も1000mgだの3000mgだのと膨大なものになっています。 先のカムカムのど飴には5000mg含有というのもあって、なんだか
「ドラゴンボール」の戦闘力みたいにインフレを起こし始めています。

そこで気付いたのですが、
「のど飴」って何か定義があるのでしょうか?

ただの「飴」が「のど飴」となるには、どのくらいのハードルが設けられているのでしょうか? 私の個人の調査なので正確ではないかも知れませんが、どうもその条件って
かなり低いか、あって無いようなもの程度のように思えます。 喉に良ければ「のど飴」で良いくらいの。 でもそもそも水飴なので普通に作ればそれなりに喉に良いものになるでしょう。 だから昨今ではとりあえず何でも飴であれば「のど飴」と呼んでいるのではないかと思えます。 私もどうせなら飴よりものど飴を選んでしまいます。 またビタミンCの含有量についても、とりあえず数の多いものを選んでいるような気がします。 これはもう効く効かないよりも「強そう」という、これまたドラゴンボールで培われた子供理論によるものです。 本当の私の身体は、レモン150個分もビタミンを欲してはいないと思います。

ちなみに、これは宣伝業界の某氏に聞いた話ですが、宣伝において「うたう数字」というのは、安価な食品類では数字が大きい方が手に取られやすいが、逆に高額な薬類では数字が小さい方が信憑性が高く効き目もありそうに見えるそうです。 例えば「タウリン1000mg!」と「インドメタシン1.0%配合!」のように。 成分の意味がよく分からなくても、どちらも凄そうな気がしませんか? でもタウリンだったら2000mg入っていてもよく効きそうに思えますが、インドメタシンは5%も10%も入っていたらちょっと恐い気もします。 あくまでイメージですが、心理的にもそういうことがあるようです。 実際インドメタシンは効果が高い分、過剰に摂取すると副作用が発現します。

そんなことを考えながら、今日も私はのど飴を最後まで舐めきれずに噛み砕いてしまっています。
むしろカルシウムとかが足りないのかも知れません。


1月18日(木)「みんなのチョップ 民手刀」

【本日の独言】

「メガマック」がなぜ
売れているのかが分からない。


【本日のYoutube】

民主党のCM

ここの所、巷とか港とかで話題になっている民主党のCM。
色々どうかと思っていたら内部の執行部からのクレームがついているようです。 さらには自民党の中川幹事長さんからも「与党の船長、安倍晋三総裁は
どんな荒波でも決して舵を手放さない」というこれまた皮肉めいた発言。 なんて言うか、お前ら仕事しろ。

でもワタシ的には嫌いじゃないですよ、こういうの。
政治政党ウンヌンの好き嫌いではなく、あくまでCMとして観た場合ですが。 分かりやすいし、面白いじゃないですか。 少なくとも、青空の下で幸せそうな家族が
「ありがとう民主党」とか言ったりするような、いわゆる真っ当なものよりは絶対良いです。 また言葉足らずに政策を説明して国民にアピールするようなCMよりもインパクトはあるでしょう。

確かにこのCMからは「清潔感」とか「頑張っている感」は伝わりません。 出ている人もセットも内容もちぐはぐ過ぎて、それがどうしてもコミカルに映ってしまいます。 でもそれ故に「なんじゃこりゃ?」と思ったり、「学芸会かよ」と言われたり、「おまいら必死すぎwww」と書き込まれたりするほど、みんなの印象に残り話題になっています。 CMとしてはそれはそれで成功じゃないかと、皆さんの注目は充分集められたかと思います。

30秒の映像で訴えられることなんてほんの僅かです。 そんな中で政治を語るなんてできませんから、だったらインパクトを与える方に徹するのが正解でしょう。 あとは実際の現場で活躍してくれればいい訳ですし。 
だからお前ら仕事しろ。

PS:
ただ
小沢さんが舵を手放した途端に嵐がやむというのはどうかと。


参考資料:
鳩山由紀夫ホームページ

もしかしてプロデューサーが同じ人なのか?

1月15日(月)「リンゴのビタミン、ハグキに沁みて、身に滲みる」

口内炎が、痛いです。

独り身と料理をしない不摂生な生活への配慮として、数年前より市販のビタミン剤を毎日ポリポリ食べていたのですが、ああいうのって効いているのか効いていないのかよく判らない。 だから新年よりサプリメント類はもう摂らないことにしたのですが、そしたら口内炎ができました。 しかも二箇所も。 
なんだなんだ、効いてたのか? ていうかいつの間にか必須になっていたのか? いつの間にか俺の身体はサプリメントに頼らないとネイチャーメイドできなくなっていたのか? 俺はそんなデンジャラスとなライフをエンジョイしていたのか? なんだかルー大柴のブログみたいになってきた。 参ったな、色々と。 ああ痛い。


[本日の独言(ひとこと)]

先週はアメリカで、パソコンメーカーのアップル社が毎年行っている「Macworld Expo」が開催され、アップルの様々な新商品が発表されました。 代表的なものとしては、パソコンでの動画や音楽をTVで簡単に楽しむための「AppleTV」。 そしてついに登場した携帯電話「iPhone」のようです。 携帯電話に関しては日本での発売は未定となっていますが、発表の会場にはソフトバンクの孫社長の姿もあったとのことで、もしかするとソフトバンクモバイルが新商品獲得に乗り出すかもという噂も、巷では飛び交っているようです。

また、そんな「Macworld Expo」においてひとつ重大な発表がありました。
それは、同社の社名を「アップルコンピュータ社」から「アップル社」に変更するというものです。 まあ世間ではもう、アップルはアップルとしか呼ばす、アップルコンピュータと呼ぶ人もあまりいないのですが、それが正式なものとなりました。 理由としては、同社のヒット作「iPod」をはじめ、今回の「AppleTV」や「iPhone」などの登場も含めて、もう「コンピュータ」という枠組みには収まらないという意思の表れだそうです。

ただこの社名変更に関しては、「でもそれって……」と思われる方も多いかと思います。 私もその一人でした。 それは、「アップル(コンピュータ)社」というのは以前からビートルズでお馴染みの英「アップル(コープス)社」との間で、同一の社名ということで幾度となく訴訟問題が起きていたからです。

アップルコープス社は1968年に創設され、一方のアップルコンピュータ社は1976年に創業されましたが、その当時から社名に関する訴訟問題は発生していました。 ただ当時は「音楽分野」と「コンピュータ分野」という明確な棲み分けがあったので、アップルコープス社は高額な和解金とともに、「音楽事業には参入しないこと」を条件に、アップルの名を企業名とコンピュータ製品に使用することに同意しました。

ところが近年、アップルコンピュータ社はiPodとiTunesおよびiTMS(iTunes music store)をリリースし音楽事業に参入。それを受けて2003年にアップルコープス社は再び社名に関する訴訟を起こしていました。

調べた所によると、2006年5月に英高等法院は「iTMSは音楽事業にあたらない」として、アップルコープス社の請求を棄却したそうです。 今回の社名変更もこの件の問題が解決したこともあって、晴れて社名変更が実現したものと思われます。

ちなみに今回登場した「iPhone」については、今度は米ネットワーク機器大手Cisco Systems社より商標侵害として訴訟を起こされているそうです。 ネーミングというのはもちろん大切なものですが、この訴訟までのスピード感はまさに「訴訟大国」の名にふさわしいもののようにも思えます。

この名称でアップル社が携帯電話でなく、玄関のインターフォンを開発していたら、日本のインターフォンメーカー「アイホン」が「ちょっと待った」と手を上げていたかも知れませんね。


1月11日(木)「まりものある生活」

【本日のマリモ日記】

1月9日

変化なし。


1月10日

変化なし。



これから長く付き合っていくであろうこのマリモらに、
「メアリ」「モニカ」という名前をつけてやる。 初めは「まっみどりみどりのすけ」と呼んでいたが、あまりに語感が悪かったので。 向かって左がメアリで右がモニカ。 ビンを返すとどっちがどっちか判らなくなるが、それでも左がメアリで右がモニカとする。 これはもう二人の立ち位置なのだ。 ビンももう少し小粋なものにしたり、中に石やビー玉を入れたりするのもいいかも知れない。 名前を付けると途端に愛着が湧くから不思議だ。 以前育てていたサボテンは「コマンドサンボと名付けた翌週に腐り落ちた。


1月11日

変化なし。



1月8日(月)「マリモキシツ」



北海道な人からのいただきもの。 ご存じマリモさんと、かの地で人気らしい「まりもっこり」のストラップ。 
「私にはコレを付ける勇気はなかった」と言われて渡されましたが、うーん。 これは造形の恥ずかしさよりも、可愛くない上に面白くないという恥ずかしさがあると思うのだが、どうか。


[本日の独言(ひとこと)]

成人の日の夜、いかがお過ごしでしょうか。 明日からはもう大人。もう前から大人の人は仕事も本番。 最初くらいは気合いを入れていきたいものです。

さて、そんなメールマガジンの原稿を私は今、1月の4日に書いています。 受け取って頂いた皆様よりは少し昔、頭の中のオトソ気分もまだ抜けきってはおりません。 すいません、未来の皆さん。

お正月の三が日は奈良の実家で、本当に何もせずに過ごしておりました。 初詣では桜井市にある大神神社という、えらくありがたい名前の神社に参拝しました。 あとイトーヨーカドーにも行きました。 幼稚園児みたいな報告ですいません。 今は大阪の家。 玉造という街に戻って、そろそろ社会復帰に向けてリハビリをしています。 玉造という所は、他の土地の方々には馴染みのない住所かも知れません。 大阪の、いわゆる「キタ」と呼ばれる梅田、「ミナミ」と呼ばれる難波から見ると、ヒガシにあたり、隣はそのまま東大阪市という地名になります。

大阪と奈良というのは、地図上ては隣り同士の県ではありますが、両方の街に住む私が見るに、その「人の気質」には随分と違いがあるように思えます。

大阪に住む人の気質は、多分皆さんが漠然と思われているものに近いです。 よく喋る、せっかち、人情とお節介、ケチとおおらか、そして常にギャグが多い。 反するキーワードがありますが、つまりは派手な気質で、商都に生きる人間の生々しさがよく感じられます。

一方、奈良の気質はと言うと、これがまたとことんマイペースな人が多いように思えます。 のんびりとして、でもしたたか。 頑固だけど情には寛大。 大阪の人の多くが嫌う行列にもきちんと並ぶ。 ギャグは華麗に聞き流す。 大阪、京都よりは田舎という自覚はあるが、それはそれでええやんという精神。 「水の都」大阪の瑞々しさはない、乾いた山の気質。 平城京1300年の落ち着きと、ある種の諦めがひしひしと伝わってきます。

同じ様な方言を使いますが、両県を隔てる生駒の山を境に気質はガラリと変化します。 もちろんどちらが良いというものではなく、どちらもそれなりに相応しいものだと思います。 ただ私自身、精神は奈良の気質にあり、ビジネスのノリは大阪の気質にあるなと、両方の街を行き来するこの時期は特に感じさせられます。

きっと他の土地では他の気質が見られるのでしょうね。 都道府県全ての「気質調査」をするというのも面白いかも知れません。


【本日の苦笑い映画】

バブルへGO!!〜タイムマシンはドラム式〜

「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」「波の数だけ抱きしめて」で一世風靡したホイチョイ・プロダクションズの新作映画。 相変わらずのバブル景気バンザイ主義と、あからさまな企業タイアップぶりには苦笑いを禁じ得ません。 ひどいな、これは。


1月5日(金)「占いのウラの話」

年末年始のこの時期だからかも知れませんが、近頃人から
「六星占術」の話をよく聞かされます。 六星占術というのは、皆さんが大好きな細木数子先生が考案したと言われる占いのことです。

私はざっと読んだだけなのでよく分かりませんが、その占術の分類によると私は
「水星人のマイナス」とやらになるそうです。 30年近く地球人だと思っていましたが、どうやら私は水星人だったのです。 なんだかオラわくわくしてきたぞ。

で、そんな「水星人のマイナス」な人の性格は、きっと
瑞々しくってマイナスイオン溢れる癒し系な人柄なんだろう思いきや、どうやらそうではなく、「利己主義で怜悧で華やかで孤独」という「そっちのミズ系かよ」って性格なのだそうです。 本人としては何だか上っ面だけで評価でちっとも当たっていないのですが、他人から見ると結構当たっているとか。 2007年度の運気は「安定」。 何が「安定」しているのかは知りませんが、不安定よりは良さそうです。

昔、占い師になろうと思い勉強していた時期があったのですが、この六星占術というのは、他に比べて
圧倒的に「面白い占い」であるのが特長だと思いました。

理論ではなく「理論っぽいインスピレーション」で書かれているので難しくないですし、幸・不幸を断言しているので判りやすいですし、やたらと不幸になりやすいのでつい興味を持ってしまう。 そういう
「誇大広告的な要素」がいたる所に散りばめられているので、誰でも飽きずに楽しく読んでいくことができるのだろうと思います。 これは占い本としては大変な変革です。 だからよく売れているのでしょう。 細木数子さんの最大の功績は、「占いを娯楽として完成させた」ことにあると私は考えています。

ちなみに「よく当たる」という評判は、占術をちょっとでもカジったことのある者からすると鼻で笑うお話。 
「よく当たる」のではなく、「よく当たるように見せる」のが占術のワザですから、近代における占いの評価は「面白い」か「面白くないか」で出すべきなのです。 1.細木数子の本は判りやすい → 2.つまり面白い → 3.だからよく当たる。 一見不思議な流れにも見えますが、実はこういうシステムで成り立っているのです。 だから私は占い師になるのをヤメました。


1月4日(木)「総じて演出ベタ」

【本日の去年の紅白】

噂になっている裸ダンサーの動画(YouTube)


そしてそれに対する謝罪(YouTube)


リアルタイムでは観てなかったんですが、
なんかイタいな。

紅白に出場しているのもイタいし、裸ダンサーが実際には脱いでなくて裸絵のシャツを着ているというのもヘタレだし、抗議の電話を入れるのもイタいし、それを謝罪するのもサブいし、それでいて当の本人たちは
「してやったり」と思ってそうなのが、気持ち悪いです。 違うだろ。 抗議するなら「脱ぐなら脱げ、脱がないなら脱ぐな」だろ。 そしてお前ら的には「脱げないなら出るな」だろ。 何だこの妥協案は。 気持ち悪い。


ケフカっぽい美川憲一(YouTube)

「ドラクエIII」のゾーマ以降普及した
「最後のボスの神格化」は、「FFVI」のケフカである種の完成に達したと私は思っております。 ゆえに「さそり座の女」という悪の歌を表現する衣装と演奏との到達点が「最後のボスっぽく」なってしまうのも、あるいは当然のことなのかも知れません。 全く音程の狂わない歌いっぷりもさすが。 もう一歩進んで、最後は全身白タイツ美川憲一になればさらに評価は高まったことでしょう。 一見弱そうに見えて実はとんでもねえ力(リキ)を表現して欲しかったです。 オラわくわくしてきたぞ。


1月4日(木)「年賀状は2通来た」



明けましておめでとうございました。
今年もひとつ、な。


【本日の独言(ひとこと)】

正月の夜をいかがお過ごしでしょうか。 今夜くらいは季節感の薄いインターネットなんてせずに、のんびりと新年に沸く世間の波に身を漂わせていたいものですね。 ここでそんなことを書いている時点でおかしいとは思いますが。

年末年始になるとお目にかかるのが干支(えと)の十二支。 そのなりたちは古代中国に、十干(じっかん:甲乙など)と組み合わせて暦や日時、方位を記録するものとして発明され日本に伝えられました。 今となっては、昨日今日でコロッと入れ替わる程度のものでしかありませんが、西洋暦が流入するまではまさしく社会と生活の基盤として運用されていました。 「十二支」やウナギを食べる「土用の丑」、北西を示す「乾(いぬい:戌亥)の方角」などはその名残として今も使われています。 また高校野球で有名な「甲子園」の名前は、建てられた1924年が十干十二支では甲子(きのえね)にあたり、60年に1度来るめでたい年ということで命名されました。

またそれぞれに十二の動物が当てはめられているのは、何やらありがたい言い伝えがあるのはほぼ「後付け設定」であり、そもそもは人々が暦を覚えやすくするために身近な動物を割り当てただけといわれています。 そのため今年の干支である「亥(い)」は、元々の中国では「豚」であったものが、日本では当時身近であった「猪」に代えて覚えられたそうです。 またベトナムの十二支では丑(うし)は水牛に、卯(う)は猫に、未(ひつじ)は山羊に代えられ、そしてモンゴルの一部では寅(とら)の代わりに豹(ひょう)が用いられているそうです。 グローバル展開におけるローカルライズといった所でしょうか。 結果今ではその動物たちだけが世間に生き残っているのは面白いものです。

以上、お正月らしいお話でした。
本年もよろしくお願いいたします。