the shadow of silver
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朝には目覚め、夜には眠る、ごく当たり前の生活。

ただ、彼らの空にはいつも、銀色の魚が泳いでいた。

世界は、水の中にある。

 これは、そんな星の物語。


◇ 星祭り ◇

第1章(1)

第1章(2)

第2章(1)

第2章(2)

第2章(3)

第3章(1)

第3章(2)

第3章(3)

第4章(1)

第4章(2)

第5章

第6章(1)

第6章(2)

第6章(3)

第6章(4)

第7章(1)

第7章(2)

第8章(1)

第8章(2)

第8章(3)

第8章(4)

第9章(1)

第9章(2)

第9章(3)

第9章(4)

第9章(5)








序章

 またたく星よ 照らしておくれ

 ぼくが眠りにつく前に

 黒くて暗いこの空に

 波も心も澄みわたり

 銀の粒を散りばめた

 星の祭りがやってくる

 またたく星よ 照らしておくれ

 ぼくが眠りにつく前に

 ぼくが大人になる前に

 その星に存在する、人間を含めたあらゆる生命体は、その営みや文化を水底において完結し、水中を循環し続けていた。白く細やかな砂地からは水中木(すいちゅうぼく)が伸び、水中花(すいちゅうか)が繁茂する。家々が立ち並び、ビルや学校や公園のある街が広がっている。人々は喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。朝には目覚め、夜には眠る。ごく当たり前の生活。ただ、彼らの空にはいつも、銀色の魚が泳いでいた。

 世界は、水の中にあった。

 これは、そんな星の物話。


第1章・水中都市、ポラリスの風景



 都市を覆っていた深い闇に一条の光が差し込み、水中木の隙間に漂っていた魚たちを眠りの底からすくい上げた。目覚めた彼らは冷え切った体を暖めるために、鈍い動作で滑らかな銀色の背にわずかな日光を受け止める。反射され、増幅された光は夜の闇のあちこちを照らし、青白い都市に朝の訪れを告げた。



『テレスコピウム気象台より』

 本日は波も安定し、心地良い冬空に恵まれます。ただ朝晩は冷え込みますので、体調を崩さぬようお気をつけください。魚群指数は10パーセント。明朝、北東からの中型魚群にご注意を。今晩は窓を閉めておやすみください。



 水中都市ポラリス。大通りが交差する中央広場には、小さな老婆が一人でベンチに腰掛けていた。広場の中心には円形の台があり、噴泡(ふんぽう)と呼ばれる筒型の装置が設けられている。筒の先からは絶えず泡が噴出しており、下から照らされる七色のライトを浴びて空へと昇っていった。

 老婆は見なれた噴泡に目を向けることはなく、うつむき加減のまま緩慢な動作で魚たちに餌を撒いている。晴天の下、都市には穏やかな波が流れ、喧噪が絶え間なく続いていた。通りがかる人々の多くは、老婆に向かって笑顔で頭を下げて通り過ぎて行く。老婆はそれだけよく知られており、それだけ長くここに腰を下ろしていた。

 老婆はうたた寝をしているように揺れていたが、ふと何かを感じてわずかに顔を上げた。大通りにはたくさんの人間が右へ左へと歩いており、何人かは老婆に向かって頭を下げる。ゆっくりと辺りを見回したが、何も変わったところはない。見上げても、数匹の魚が白い腹を見せて漂う、いつもの空だった。

「波が、変だねえ」

 老婆は小さく首を傾げつつ、誰に言うともなく、しわがれた声でそうつぶやいた。それはいまに始まったことではない、近頃は、波に微妙な変化が起こる時があるのを感じ取っていた。しかし、その波の何が、老いた神経をかき乱すのかは分からない。ただ数十年に渡りこの場所に座り続けて、この都市を見続けてきた者には気になって仕方がなかった。

「老人は変化を異常に嫌う」

「若者は変化を異常に期待する」

 老婆のすぐ真上から声が聞こえる。見上げると顔形がそっくりの、双子の子どもが空に浮かんでいた。双子は老婆と目線を合わせたまま、水に沈むようにゆっくりと降りてくる。

「……珍しいね。日のあるうちからお前たちが来るなんて」

 老婆が双子にそう言うと、双子は揃ってにこりと笑った。綺麗に切り揃えられた髪、顔の割には大きい目、全てが瓜二つだ。二人とも素足で、クリーム色のワンピースの裾から白く小さな足が覗いていた。

「石を積むのにも飽きた」

「河を眺めるのにも飽きた」

「そうかい」

 双子は大きな碧い瞳で老婆を見続ける。老婆も、皺に埋もれた目で双子の小さな顔を見ていた。

「それで、とうとう婆ちゃんを迎えに来たのかい?」

 老婆の問いかけに、双子は首をぶんぶん振る。白い髪がぱらぱら乱れた。

「お祭りが近づいているのだ」

「お祭りが始まるのだ」

 双子は互いを見てうなずき合った。道行く若い男が双子の背中越しに、老婆に笑顔で軽くあいさつをした。双子を気に留める様子はない。双子は振り返って男をじっと見つめる。それでも男は双子を無視し続けていた。

「お祭りのわりには、嫌な波が続くねえ」

 男が立ち去った後、老婆がぽつりとつぶやいた。



「寒い」

 ピシスは白く霧がかった、夢と現実の狭間の世界でそうつぶやく。実際に口に出したかどうかは分からなかったが、自分の発したその言葉で、現実世界に引き寄せられたことは分かった。閉じ慣れた目蓋を開けると、見慣れた白い天井が現れる。ゆっくりとした動作で布団から起き上がると、純白の長い髪が碧い瞳を覆った。片手で軽く髪を掻き上げ、かたわらに折りたたまれた薄紫色のカーディガンをベッドに座ったまま羽織る。すぐに立つと立ちくらみがするので、しばらくはじっと留まり血が全身に流れるのを待った。

 ベッドのそばに置いた魚籠の中には、二匹の小さな銀色の魚が元気そうに泳ぎ回っている。机の上の、読みかけの本の隣に置いた冬咲きの水中花は、青く小さな花をたくさん咲かせていた。さらにその横に置いた、鳴らしたことのない目覚まし時計の針は、8時ちょうどを示していた。

 慎重に立ち上がる。それでも少し、しくしくとした頭痛に襲われる。ピシスはその痛みに顔をしかめながら窓辺へ近づき、紺色のカーテンを開いた。透明なガラスには血の気のない青白い少年の顔が映っている。きょうも顔色が冴えない。憂鬱な思いを振り払うかのようにクレセント錠を下げ、窓を開けた。朝の新鮮な波が入り込み、頭と体が徐々に眼を覚ます。マンションの6階にあるこの部屋の窓から見下ろすと、学校へ向かう、少年たちの白い頭がいくつか見えた。

 ピシスは少し、咳をする。少年の内の一人、水色のシャツを着た子が立ち止まると、こちらを見上げて、何事かを言って手を振った。ピシスも精一杯の笑顔で手を振り返した。少年は満足げにうなずくと、元気良く学校へ向かって歩き出した。

 ピシスはそれをじっと見送った後、窓を閉めて、カーディガンを脱いで、元通りきちんとたたんで、数回咳き込んでから、再び布団の中に潜り込んだ。

 窓のすぐ近くを何匹かの魚が泳いで行った。



(第1章(2)へつづく)