the shadow of silver
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朝には目覚め、夜には眠る、ごく当たり前の生活。

ただ、彼らの空にはいつも、銀色の魚が泳いでいた。

世界は、水の中にある。

 これは、そんな星の物語。


◇ 星祭り ◇

第1章(1)

第1章(2)

第2章(1)

第2章(2)

第2章(3)

第3章(1)

第3章(2)

第3章(3)

第4章(1)

第4章(2)

第5章

第6章(1)

第6章(2)

第6章(3)

第6章(4)

第7章(1)

第7章(2)

第8章(1)

第8章(2)

第8章(3)

第8章(4)

第9章(1)

第9章(2)

第9章(3)

第9章(4)

第9章(5)








第1章・水中都市、ポラリスの風景



 リブラは学校の窓から見える魚の群れを席に座ったまま眼で追っていた。魚の群れは右へ行ったかと思うとまた左へと戻ってくる。何が楽しいのか、何も楽しくないのか。ぼんやりとそんなことを考えていた。やがて魚たちは、校庭に整列した泡桜(あわざくら)の陰に消えて行く。教室のほうを向くと、もう大半の生徒が下校しており、きょうの掃除当番の子供たちが箒を持ってふざけあっていた。リブラは立ち上がり、水色のシャツの襟を整えると、まだ残っている生徒の一人、カイトの下へと足を運んだ。

「帰らないの?」

 椅子に座っているカイトに近づいてそう尋ねると、彼は読んでいた分厚い本から顔を上げた後、銀縁の眼鏡を整えて、そうだね、と静かに答えた。カイトの綺麗に切り揃えられた白い髪見て、リブラは自分の癖毛が少し気になる。ところどころ灰色がかり、あっちこっちへと跳ねる自分の髪が好きにはなれなかった。

「帰りにまた『スクルプトル』へ行こうと思うんだけど」

 『スクルプトル』とは学校の近くにある雑貨店の名前だ。てんで役に立ちそうにない物、役に立ちそうだと思わせておいて、やはり役に立たない物などを売っている不思議な店だ。値段もバラバラで、少年たちの持つ小銭で何とかなる物から、目を見張る値段の物まで色々と置いている。リブラたちはそれらの品々を、買うというよりも眺めているのが最近の遊びの一つだった。

「リブラはあの店が好きだね」

「だって変な物ばかり置いてあって楽しいじゃない。それにね、カイトは知っているかい?」

 リブラは人差し指をカイトの眼の前に立てる。カイトはその細い指をしばらく見た後、リブラの大きくて溌剌とした瞳を不思議そうに見つめた。

「……あの店の主人、宇宙人らしいよ」

 リブラは真剣な顔でそう言った。カイトはその顔をしばらく眺めていたが、とうとう堪えきれずに吹き出した。リブラは少し頬を膨らました。

「……14歳にもなって、宇宙人はないだろ」

 カイトは笑顔のままで言う。

「歳は関係ないだろ。そういう噂なんだよ」

 リブラも引かない。

「リブラは会ったことがあるのかい? その店主に」

「ないよ。いつも店の奥に引き籠もっているんだ」

「へえ……宇宙船でも作っているのかな?」

 カイトは自分でそう言って、またくすくすと笑う。

「それを確かめに行こうって言ってるんだよ」

「……本気かい?」

「カイトは宇宙人に会いたくないのかい?」

 リブラに率直に聞かれ、カイトは言葉に詰まった。彼は雑貨店を営んでいる宇宙人などは信じていないし、それに対して心を奪われるほど幼くはなかった。

「……怖いのかい? カイトは」

 しかし同じ歳のこの少年は何の疑いも持っていない。カイトはリブラのそんなところが好きだった。

「分かったよ。宇宙人に会いに行こう」

 カイトはそう言うと、本を鞄にしまい込み席を立った。身長はリブラとほぼ同じだ。

「まだ宇宙人と決まった訳じゃないんだよ」

 リブラは嬉しそうにそう言った。



 2人は並んで教室を出て、子どもたちの声が騒がしい廊下を歩く。歩きながらカイトは、ちょっと冷えるね、と言って真っ白で丈の長いシャツの襟を立てた。リブラは白衣のような上着を着ている彼を見て、医者や科学の先生を思い浮かべる。うしろから何人か、他の教室の生徒たちが走り抜けて行った。

 職員室の前を通ると、ちょうど担任のラケルタ先生の姿が見えた。

「ラケルタ先生」

 二人は声を揃えて呼ぶ。そのタイミングがぴったりだったので、二人は顔を合わせて少し笑った。

「おや、カイト君にリブラ君。今から帰るのかい?」

 ラケルタ先生は微笑んでそう尋ねた。紺のスーツの胸ポケットには二本のペンが頭を出している。リブラの身長からではそれがやたらと目についた。2人は元気良く「はい」と答えてうなずいた。

「はい、さようなら。またあした会おうね」

 32歳のラケルタ先生は、まるで同年代の友達のようにそう言う。2人は先生と別れて帰ろうとしたが、リブラはふと後ろを振り返った。

「先生」

「ん? 何だい?」

 職員室へ入ろうとしたラケルタ先生は、足を止めてリブラの方を向く。リブラは先生の目を見ずに、やはり胸のポケットのペンを見ていた。年長者の目を見て話さないのは失礼だということは知っていたけど、彼はどうもその行為が苦手だった。

「……ピシスの具合は、どうなんですか?」

 リブラがそう聞くと、ラケルタ先生は少し口を噤む。カイトも先生の方を見つめていた。

「そうだね。あまり良くはないようだね」

 教材用の大きな三角定規を抱えた女の先生が職員室へ入ろうとしたので、3人は少し横に動いた。数学のスピカ先生だ。ラケルタ先生は軽く頭を下げる。スピカ先生も会釈をして中に入った。

「……そうですか」

 リブラはけさ見たピシスを思い出していた。はっきりと見えなかったが、あまり元気そうには思えなかった。

「結局、何の病気なのですか?」

 カイトはラケルタ先生を見上げて尋ねる。

「ぼくもお医者さんじゃないからちゃんとは答えられないけど、何でも体の端々から弱っていく重い病気らしいね」

 ラケルタ先生は深刻そうに眉をひそめ、小声で答えた。カイトは先生の説明が曖昧だったせいか、少し首を傾げている。リブラは重い病気という言葉だけで十分深刻さが伝わった。

「治るんですか?」

 リブラは医者じゃないと言った先生に聞く。ラケルタ先生はやや驚いた表情で、しばらくリブラの目を見つめていたが、

「ぼくは治ると信じている。君たちもそうだろう?」

 と微笑んで答えた。2人の少年はそれぞれうなずいた。

「お見舞いに行ってもいいですか?」

 今度はちゃんと先生の目を見て尋ねる。カイトもその言葉にうなずいた。

「大丈夫だろう。ピシス君もきっと君たちに会いたがっているよ」

 先生は喜んでそう言った。

「カイト、今度行こう」

「うん、そうしよう」

 2人はそう約束をした。



 学校を出た2人が校庭を歩いていると、前方に真っ黒な服を身に着けた1人の少年が、リブラの頭より少し高いところに浮かんでいた。リブラはその黒い背中と銀色の長い髪に、どこかで目にした悪魔の絵を思い浮かべる。2人が近づくと悪魔も2人の気配を感じ取って振り向いた。

「コルブ」

 リブラがそう言うと、黒い服の少年、コルブは水煙草(みずたばこ)をくわえたまま、

「やあ、リブラにカイトじゃないか」

と、ふわふわと揺れながら返事をした。悪魔のような姿をしているのに、顔は天使のように端正だ。かたわらのカイトは普段よりも冷たい眼でコルブを見ている。彼はコルブを見る時はいつもそんな眼をしていた。

「リブラも浮かばないか? 気持ち良いぞ」

 コルブは笑顔でそう話す。その表情は無邪気だった。リブラは返事に迷ってカイトの方を向く。カイトは冷たい眼をそのままリブラに向けていたので、結局リブラは浮かばないことにした。

「何をしてるの?」

「ごらんの通り。水煙草を吸って浮かんでいるだけだよ。教室で吸う訳にもいかないだろ?」

 そう言ってコルブは口から白い水を吹く。だからといって校庭で堂々と吸って良いのもでもないとリブラは思った。白い水は彼の黒い服の周りを漂い、やがて消えていった。

「体に悪いよ。ねえカイト」

 リブラは振り返って同意を求る。

「進んで毒を飲む奴を止める必要はないよ」

 カイトは吐き捨てるように言う。切れ長の鋭い目は若干の侮蔑の色を見せていた。

「誰も止めてくれとは言っていないけど」

 コルブは笑いながら、カイトの目を見て答えた。2人は数秒間、じっと見つめ合っている。冷たい波が流れた。

「最近は厳しいな。カイト」

 コルブの言葉を聞いたカイトは、少し苦い顔をした後、急に踵を返して、無言で歩き始めた。

「どこへ行くの?」

「『スクルプトル』へ行くんだろ」

 カイトは短く答えると、白衣の裾を波で揺らしながら足早に去って行った。

「待ってよ。ぼくも行くよ」

 リブラはそう言ってからコルブの方を振り向く。

「とにかく、水煙草は体に悪いから」

「……忠告ありがとう。早く追いかけろよ」

 コルブは困った顔をリブラに向ける。リブラはうなずくと、もうだいぶ小さくなったカイトの背中に向かって走り出した。コルブはそれを見ながら白い水を吹いていた。

 リブラが追いつくと、白衣の少年はリブラの方を少し向いたが、また顔を戻して歩き始めた。

「どうしたんだよ、カイト」

「……別に。あいつといると調子が狂うんだよ」

 カイトは正面を向いたまま早口で答える。リブラは溜め息を漏らして空を見上げた。白く、ぼんやりとした太陽が濁った波に揺らいでいた。



 水中都市、ポラリスは多数の人間とその思いを包んで、ゆっくりと時を刻み続けていた。老人は魚と戯れ、子どもたちは日々の事件に心を躍らせる。夢のように美しい都市。しかし、そこで生活を営む者たちを取り巻く、子どもから老人への一方向の時の流れが紛れもない現実を示していた。彼らもまた、水泡のように儚い現実にその身を委ね続けるしかなかった。



(第2章(1)へつづく)