the shadow of silver
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朝には目覚め、夜には眠る、ごく当たり前の生活。

ただ、彼らの空にはいつも、銀色の魚が泳いでいた。

世界は、水の中にある。

 これは、そんな星の物語。


◇ 星祭り ◇

第1章(1)

第1章(2)

第2章(1)

第2章(2)

第2章(3)

第3章(1)

第3章(2)

第3章(3)

第4章(1)

第4章(2)

第5章

第6章(1)

第6章(2)

第6章(3)

第6章(4)

第7章(1)

第7章(2)

第8章(1)

第8章(2)

第8章(3)

第8章(4)

第9章(1)

第9章(2)

第9章(3)

第9章(4)

第9章(5)








第3章・絵画少年、ピシス



 水中都市・ポラリスには、中央局(センター)が管理する高層住宅が点在している。白い貝殻のような質感を持つその直方体は、都市開発事業の一環として建設されたもので、見えない空の蓋を支える柱のように屹立していた。住宅の内容は高級と言い難いが、質は悪くなく、何より安価で借りられるという利点がある。そのため毎度の入居抽選会には何十倍もの入居希望者が殺到する人気の物件となっていた。

 そんな高層住宅のひとつ、大通りに面した物件の一室に、ピシスと彼の母親は住んでいた。父親は五年前に他界している。中央局の上層局員として勤務していた彼は、堅実な性格と優秀な勤務態度で知られており、高層住宅の入居抽選会を勝ち取るほどの強運としたたかさを持っていた。そのため将来の幹部候補としても注目されていたが、突発性の病に倒れて、そのまま呆気なく亡くなってしまった。

 息子のピシスはそんな父親の性格と優秀さは受け継がなかったが、彼もまた別の分野で優れた才能を示していた。絵画だ。彼の描く油絵は十四歳とは思えないほど完成されており、特にその色彩感覚は静謐な慈愛に満ち溢れていた。評論家たちは、年齢を表記しなければ間違いなくもっと高く評価されるはずだと誉め称え、周囲の人間も少年に大きな期待を寄せていた。

 ところが、少年も一年前から病に冒されて将来を断たれてしまった。父親のものとは違っていたが、身体の末端から内側へと徐々に麻痺していくこの病気は、天才絵画少年の手から筆を落とさせ、足を学校から遠のかせた。それでも彼はしばらく筆を握り続け、学校へ歩き続けていたが、やがてそれも叶わなくなると、どちらも捨ててベッドの上で朝とも夜ともつかずに本を読み耽るようになった。



 早朝からの中型魚群の到来により午前中は薄暗い空が続いていたが、 正午を過ぎるころには魚群の大半が南西へと流れて青い空が広がるようになった。リブラとカイトは学校が終わるとすぐに外へと飛び出して、普段より魚の数が多い中央大通りをピシスのマンションへ向かって歩き始めた。大通りは相変わらず人に溢れ、それぞれの目的に従って北へ南へと流れている。不思議と同じ道上でありながら人の流れはその二方向へきちんと分かれており、衝突が起きない秩序が自然と生まれていた。

 二人の少年は北向きの流れに乗り、その無言の強制秩序によって進んで行く。見上げると空にもまばらに人の姿が見えた。ただ漂っている者や、一時的に下の流れから避難している者。浮かびながら楽器を演奏している者もいる。浮かぶという行儀の悪い行動をしている人種なので、下の道を行く者たちよりも若干悪びれた顔や服装をしていた。

「どうして空に浮かんじゃ行儀が悪いのかな?」

 リブラはカイトの方を見ずに尋ねる。

「習慣だろうね」

 カイトは素っ気なく答える。そう言われると元も子もない。

「でも浮かんで泳いだ方が、人も少ないからもっと自由に動けるよね」

「そういう合理的な発想が、これからは重宝されるだろうね。大切にしなよ」

 カイトは再び正面を向いて流れてゆく。リブラは自分が誉められたのか馬鹿にされたのかを考えた。

「みんなが空を浮かべば良いってこと?」

「そういう意味じゃないよ」

 リブラにはやはりよく分からない。上では派手な格好をした若い男が延々とギターを掻き鳴らしている。その音は不釣り合いに行儀の良いものだった。

「上ばかり見ていると危ないよ」

 カイトに手を引かれてリブラは止まる。危うく前の人間にぶつかりそうになっていた。

「よく分からないよ。どうして便利なのに行儀が悪いんだろう?」

 リブラはカイトの方を向く。カイトはしばらく答えを考えた。

「……つまり、人間が上に浮かんでしまったら、上にいる魚たちの居場所がなくなるからだよ」

 カイトは銀縁眼鏡の奥で微笑む。リブラはなるほどと、ひどく納得した様子でしきりにうなずいた。カイトは少し反省した。



 再び流れ始めた人の波は、大通りをそのまま北へと真っ直ぐ、中央局の方へと進んで行く。遠くに見えるひときわ背の高い建物が中央局だった。頂上には赤い点のような光が明滅を繰り返している。リブラはその赤い点を見るといつも、あの場所から見える都市の景色を想像する。足下から伸びる細い大通り、そこを流れる砂粒のような人間たち。箱庭のような街並み。どんな気分なのだろうかと。

 人の流れは噴泡広場で終わる。そこからはまたそれぞれの目的に従って入るべき流れを選ぶ仕組みになっていた。二人は広場の中心にある噴泡へと向かう。色とりどりの泡が下から上へ昇っていく。噴泡を取り囲むベンチには人待ちをしている者や、露店で売られている飴玉やクッキーを頬張っている子どもたちが座っていた。その中で一人、魚に囲まれた小さな老婆を見つけた。老婆は眠っているのか、じっとしたまま動かない。魚たちは老婆の手から直接餌をもらっていた。リブラは老婆の方へ歩み寄る。カイトも後ろからついてきた。

「ケトゥスお婆ちゃん」

 リブラが名を呼ぶと、老婆はその声に反応して少し肩を震わせて、ゆっくりと顔を上げた。

「リブラにカイトだね」

 ケトゥスは皺に埋もれた眼をわずかに開くと、かすれた声でそう言った。

「お婆ちゃん、きょうは魚が多いね」

 リブラはケトゥスに集まった魚たちに触れながら言う。魚は驚いたように逃げた。

「朝から大きな群がやってきたからね」

 ケトゥスは小さな左手に持った藍色の布袋から餌を取り出すと、少年たちに少しずつ分け与えた。リブラは素直にありがとうと言って受け取る。カイトは結構ですと受け取りを辞退したが、ケトゥスが引き下がらないので結局受け取った。リブラは魚たちを餌で誘導させながら広場を歩き始めた。

「学校は休みかい? カイト」

 ケトゥスは残った魚に餌を配りながら尋ねる。

「いえ。もう終わりました」

 カイトが餌を撒くと、一斉に十匹ほどの魚たちが集まった。

「そうかい」

 二人は黙って餌を与える。カイトは思いのほか面白く感じていた。リブラはもうかなり遠い所まで歩いている。それに従って魚の行列ができていた。

「カイト、最近波がおかしくないかね?」

「そうですか? おかしいとは、どんな風に?」

「何だかざわざわしているね。婆ちゃんの気のせいかもしれんがね」

「どうでしょうか。気象台に問い合わせてみましょうか?」

「いや、構わんよ」

 カイトは、魚が多いからだろうか、広場がいつもより騒がしい気がした。露店が並び人も多い。空では数人で構成された三組の楽団がめいめい楽器演奏を披露していた。

「これからどこかへ行くのかい?」

「ピシスのお見舞いです」

 それを聞いてケトゥスは、ああ、と溜め息混じりの声をあげた。

「不憫だねえ、あの子も」

「……そうですね」

 カイトはそう答えて魚から目を離す。遠くにいたリブラは餌がなくなったらしく、魚に何事か伝えながらこちらへと戻り始めていた。

「危ないのかい?」

 カイトはケトゥスの突然の質問に少し混乱したが、すぐにそれがピシスのことだと気がついた。

「いえ……そこまでではないでしょう。きょうもぼくたちが行くことを許されましたから」

 カイトはとりあえず、そう答えておいた。自分でもそう思っていた。ケトゥスは小さくうなずいた。

「お婆ちゃん、餌がなくなっちゃったよ」

 リブラが魚たちを引き連れて戻って来る。

「リブラ、そろそろ行こう」

「うん、そうだね」

 リブラはそう答えながらも、まだ名残惜しそうに銀色に光る魚を見つめていた。

「またおいで。今度はもっと餌をあげるから」

 ケトゥスは顔の皺をさらに深くして微笑む。リブラは嬉しそうに返事をしてケトゥスと魚たちに別れを告げた。



(第3章(2)へつづく)