the shadow of silver
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朝には目覚め、夜には眠る、ごく当たり前の生活。

ただ、彼らの空にはいつも、銀色の魚が泳いでいた。

世界は、水の中にある。

 これは、そんな星の物語。


◇ 星祭り ◇

第1章(1)

第1章(2)

第2章(1)

第2章(2)

第2章(3)

第3章(1)

第3章(2)

第3章(3)

第4章(1)

第4章(2)

第5章

第6章(1)

第6章(2)

第6章(3)

第6章(4)

第7章(1)

第7章(2)

第8章(1)

第8章(2)

第8章(3)

第8章(4)

第9章(1)

第9章(2)

第9章(3)

第9章(4)

第9章(5)








第3章・絵画少年、ピシス



 リブラとカイトは広場からさらに北へと道を流れる。この辺りは、一番奥の中央局をはじめ、銀行、郵便局、警察署など公共の施設が軒を連ねていた。それに従って流れる人も、先程までの雑多な種類ではなく、きちんと正装をしている者がほとんどだ。騒音も、もちろん騒がしいことには変わりはないが、先程までが叫ぶような高音中心だったのに比べて、ここでは呻るような低音中心の音が響き渡っていた。カイトは黙って歩き続け、リブラはまた空を見上げている。浮かんでいる者の姿はなく、すっきりとした青空が遠くまで見えた。

 その時、二人から相当離れた空の上で、黒衣の少年が空に浮かんで移動しているのが見えた。

「あれ、コルブじゃないかな?」

 リブラは空を斜めに向かって指さす。カイトもその示す方向を見た。

「……うん。そうみたいだね」

 カイトも不思議そうに答えた。コルブは長い銀髪を漂わせながら浮かび、二人とは反対の方向へ流れている。その姿は下の通りを歩く人たちよりずっと優雅で行儀が良いように思えた。リブラはまた自分の癖毛を気にした。

「綺麗だね」

 リブラはその姿を見て、自分の流れない髪を触りながらそう呟いた。

「うん」

 とカイトは無意識で返答してから、慌ててわざとらしく咳をする。コルブは二人には気付かないままに噴泡広場の方へと泳いで行った。

「コルブ、こんな所へ何の用かな」

 リブラはきょう学校でコルブの姿を見かけなかったのを思い出す。彼の場合はそれも珍しいことではないので気にならなかった。

「郵便局にでも用事があったんじゃないかな」

 カイトは興味がなさそうにそう答えた。

「ピシスのお見舞いに行ったんじゃない?」

 二人が目指すピシスのマンションはもう少し北へ行った所にある。リブラの言葉にカイトはなぜか鋭い目つきになった。

「あいつがそんなことをするとは思えないよ」

 カイトは前方を見たまま、強い口調でそう言う。リブラもそんな気がした。



 ピシスの住むマンションは中央局が建てただけあって、装飾の少ない無機質な姿をしている。郵便受けがずらりと並んだ玄関ホールはひんやりとした水が漂い、ひっそりと静まり返っていた。二人はホールを通り抜け、突き当たりの二機あるエレベータの右側に入った。カイトがドアの横に付けられた操作盤の『6』のボタンを押すと、ドアが静かに閉まり、ゆっくりと上昇をはじめる。リブラは空に浮き上がった時のような不安定な感覚を受けた。

「ピシス、退屈しているかな?」

 リブラは久しぶりに友達に会うのを楽しみにしている。

「……だったら良いんだけどね」

 カイトは冷静なまま、ドアの上の階数表示ランプを見つめていた。

「どうして?」

「退屈を感じられるほど元気だということだからね」

 カイトはそう答えてから、自分が無遠慮な言葉を発したことに気づく。隣を見るとリブラが何事か考えているように黙っていた。カイトは、自分の欠点は相手を選ばずに言葉を使う所があると思った。エレベータは低音を響かせながら上昇する。二人はドアが開くまで無言のままだった。

 ピシスの家は六階の、エレベータから数えて五番目のドアだ。リブラはドアの数を数えながら廊下を歩く。カイトは下に見える大通りに止めどなく流れる小さな人々を見る。まるでゆっくりと這う長い蛇のようだった。やがて五番目のドアに辿り着いた二人は互いにうなずき、カイトがインターホンを押して、白い服の襟を整えた。リブラも癖毛を少し掌で押さえ、ピシスの母親の登場を待った。ややあってからドアが開くと、母親ではなく当のピシス本人が顔を出した。

「やあ、リブラにカイトじゃないか」

 ピシスは白いパジャマとその上に薄紫色のカーディガンを羽織っている。良く似合っていたが、彼はそれが恥ずかしいのか、ちょっと戸惑った表情を、病弱そうな白い顔に浮かべていた。

「お見舞いに来たんだよ」

 リブラはそう言って笑う。

「母さんはいないのかい?」

 と言ったのはカイトだ。部屋の奥からは誰の気配もしなかった。

「買い物に行っているんだ。さあ、入ってよ」

 ピシスは嬉しそうに答えて、二人を中に入れた。

「……思ったより元気そうだね」

 ピシスの後に続くリブラは、カイトに向かって小声でそう話しかける。カイトは何も言わなかった。



「紅茶でも淹れるよ」

 部屋に招いた後、そう言ったピシスをカイトは笑顔で制した。

「君に働いてもらっては誰のお見舞いに来たか分からなくなる。キッチンを借りるよ」

 カイトはそう言って部屋から出て行く。ピシスはリブラに微笑んだ後、ベッドに腰掛けた。ピシスその隣の、勉強机に付いた椅子に座る。こぢんまりとした病人の部屋は、窓から入る心地良い水に包まれていた。本棚にはぎっしりと難しそうな本が並び、机も綺麗に整頓されている。かたわらの魚カゴには二匹の小さな魚が泳いでいる。しかし、不思議なことに天才絵画少年と呼ばれるピシスの部屋には、一枚の絵も、一本の筆も見当たらなかった。

「調子はどう?」

 リブラは尋ねる。久しぶりに間近で見るピシスは、確かに同年代の少年らしからぬ痩せ方をしているように思われたが、そんな質問を気軽に出せるくらいは元気そうに見えた。

「このところは調子が良いよ。まだ学校へ行けるほどじゃないけど」

 ピシスはか細い声で答えた。長く伸ばしっぱなしの純白の髪が眼を覆っている。彼はそれを繊細そうな細指でゆっくりと持ち上げた。穏やかだが、どこか危うげな顔が現れる。リブラも優しく笑ってうなずいた。

「そう言えばさっきコルブを見かけたんだよ。ここへ来なかった?」

 リブラがそう聞くとピシスは、少し驚いたような表情をした。そしてキッチンにいるカイトの様子を眼だけで窺ってから、再びリブラの方を向いた。

「……カイトもそれを見たのかい?」

「うん。二人で何しているんだろうって話していたからね」

 リブラは不思議そうな顔をする。ピシスはしばらく考えた後、

「うん。お見舞いに来てくれたんだ」と答えた。

「ああ、やっぱりそうなんだ」

「でもこのことはカイトに言わないで欲しい」

 ピシスは真剣な眼でリブラを見る。リブラには訳が分からなかったが、恐らくカイトがコルブをあまり良く思っていないからだろうと気づいてうなずいた。その後ピシスは、学校での出来事をしきりと聞いてきたので、リブラも問われるままに答えた。ピシスは学校が、自分が通い続けていた時とさほど変わっていないことが分かるとひどく嬉しそうな顔をした。彼の心配事の一つは、学校へ戻った時の自分の居場所だった。



(第3章(3)へつづく)