the shadow of silver
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朝には目覚め、夜には眠る、ごく当たり前の生活。

ただ、彼らの空にはいつも、銀色の魚が泳いでいた。

世界は、水の中にある。

 これは、そんな星の物語。


◇ 星祭り ◇

第1章(1)

第1章(2)

第2章(1)

第2章(2)

第2章(3)

第3章(1)

第3章(2)

第3章(3)

第4章(1)

第4章(2)

第5章

第6章(1)

第6章(2)

第6章(3)

第6章(4)

第7章(1)

第7章(2)

第8章(1)

第8章(2)

第8章(3)

第8章(4)

第9章(1)

第9章(2)

第9章(3)

第9章(4)

第9章(5)








第4章・都市の傍観者、ケトゥスと双子



 噴泡広場はきょうも人と魚に溢れている。地上では大勢の人間が忙しなく行き交い、空中ではいくつかの楽団が果てることなく演奏を続けていた。水中木の並木が新芽を付けるにはまだ早く、時計塔の針は遅れることなく時を刻み続けている。虹色の噴泡が空高く舞い上がり、空の青色に混じってゆく。数え切れない人間たちと、同じ数だけの心が流れ続ける場所。魚たちがその隙間を器用に泳ぎ抜けて行った。



 老婆、ケトゥスはその中で一人、広場に定着し続ける人間だった。魚は餌を求めてその皺だらけの手に集まり、人々は広場に来ては当たり前のように老婆の小さな瞳に笑顔を見せる。その存在はもはや、噴泡や時計塔と同じく広場にはなくてはならないものとなっていた。

 ケトゥスはいつものように魚たちに餌を撒きながら、波の穏やかさを感じて少し微笑んだ。波が穏やかな日は行き交う人々の心も穏やかで、集まる魚たちも機嫌がいい。近ごろ感じている、あの嫌な波の気配もきょうはまだない。あれは一体何なのだろう。こんなに気になるならカイトに気象台へ問い合わせてもらえば良かったと、わずかに口を動かしてつぶやいた。

「またたく星よ、照らしておくれ」

「ぼくが眠りにつく前に」

 ケトゥスの上から歌声が聞こえる。小さく静かな声だが、広場の騒音に掻き消されることなく耳に響いてきた。見上げると、姿形がそっくりの双子の少年がゆっくりと老婆の下へ降りて来た。

「暗くて黒いこの空に」

「波も心も澄みわたり」

「何の歌だい?」

 ケトゥスは眼を閉じて唄い続けている双子に話しかける。その言葉で双子は唄うの止め、碧く大きな眼を開けた。老婆の耳にはまだ歌の余韻が続いている。

「星より抜け出た羊どもが、呼び戻されるのを怖れて都市を造った」

「何と健気な、何と愚かな」

「婆ちゃんは、何の歌だいと聞いたんだよ」

「星祭りの歌だ」

「お前も忘れて、また思い出す歌だ」

 双子は淡々と、まるで書かれた文章を読み上げるように話す。ケトゥスは魚の餌を少し、双子に分け与えた。双子は自分たちの小さな手の平に乗せられたその餌をしばらく眺めた後、口に入れる。二人とも同じ調子で、うなずくような咀嚼(そしゃく)を繰り返していた。

「お前たちがこの間言っていた祭りというのが、その星祭りなのかい?」

「こんな夢の星に、偉才ある羊を置いておくのは不憫でならない」

「肉体など魂にくくり付けられた重石でしかない。浮かぶこともままならないではないか」

「婆ちゃんは、星祭りのことを聞いているんだよ。そんなお祭りは聞いたことがないよ」

 都市で最長老のケトゥスが知らないということは、すなわちこの都市には存在しないことを意味している。双子はケトゥスに向かって手を差し出す。老婆は再び双子の手に魚の餌を与えた。

「ああ、星祭りだ。盛大に行わなくてはいけない」

「この都市にもその輝きの一筋でも差し込めば良いのに」

 双子はそう言って餌を口に入れた。

「……そうだねえ」

 ケトゥスは北の道を遠い眼で見つめる。その果てには背の高い、塔のような中央局が見える。あの塔の頂上に、この都市を造り続けている総局長がいる。彼もかつてはこの広場で餌を分け与えた少年だった。もちろん、食べさせるためではないが。

「人が来る」

 双子の一人がそう言って辺りを見回す。広場は大勢の人間に溢れていた。

「未だ水になじめぬ羊がいる」

 もう一人が遠い所を指さす。老婆は衰えた二つの眼で少年の指す方を見た。南の道から人に流れて水色のシャツを着た少年がやって来るのが見えた。

「あれはリブラだね」

「悲しきかな。彼もまた歌を忘れている」

「悲しきかな。彼もまた霞んでゆく」

 双子は迷子になった子供のように悲しげな顔を見せて、涙を周囲の水に漂わせた。

「リブラが、偉才ある羊なのかい?」

 老婆は両手で双子の頭を撫でながら尋ねる。双子はうつむきながら頭を振って否定した。



 リブラは前に約束した通り、ケトゥスに魚の餌をもらうために広場へと向かっている。カイトは学校でラケルタ先生に勉強を教えてもらっているのできょうは隣にいなかった。勉強といっても普段の授業で習っているようなものではなく、もっと複雑で難解なものだ。成績優秀であるにも関わらず、彼は週に一度はそんな勉強会に放課後を費やしていた。

 広場は相変わらず人混みが激しく、リブラもケトゥスの下へとなかなか辿り着けない。ゆっくりと歩みを進めていると、やや離れた所にコルブが、きょうは地面に足を付けて歩いていた。リブラが声をかけると振り向いて足を止めた。

「やあ。久しぶりだな、リブラ」

 黒衣のコルブは眩しいばかりの笑顔でそう迎える。そう言われてから、最近学校で彼の姿を見ていないことに気がついた。

「どこへ行くの?」

「別に、散歩だよ」

 コルブは黒いシャツの胸ポケットから水煙草を取り出すと、一口吸って返事を誤魔化した。

「ピシスのお見舞いに行くの?」

 リブラがもう一度尋ねるとコルブは少し驚いた顔を見せて白い水を吹いた。

「知っていたのか?」

「この間見たんだよ」

「カイトも?」

「うん。一緒にいたからね」

「そうか」

 コルブはリブラから眼を離して空を見上げる。二人の真上には四人の男たちが騒々しく音楽を奏でている。その周りには派手な服を着た女たちがそれを聴いていた。見上げていると化粧の濃い一人の女がコルブに気づいて、周りの女たちに向かって何事かささやいている。彼と一緒にいるとこういう光景がよく見られた。

「カイトに知られちゃ困るの?」

 リブラは見上げたままでぼんやりとつぶやく。

「……別に。ただ、また何か言われるかもなと思って」

「何かって?」

「何かだよ」

 コルブは再びリブラの方を向く。二人の間を小さな一匹のエイがひらひらと通った。

「リブラの方こそ、こんなところで何をしているんだ?」

 目的なく漂うエイを眼で追いながらコルブは尋ねる。

「ケトゥスお婆ちゃんに、魚の餌をもらうんだ」

 リブラは噴泡近くの、いつも老婆が腰掛けているベンチの方を向く。老婆はやはりきょうもそこに座っている。その前方に二人、小さな子どもたちが立っているのが見えた。見覚えはない。コルブも老婆と子どもたちを見ていた。

「そうか。婆ちゃんもいつも一人で餌を撒いているのもつまらないだろうし、話相手になってやるのも良いな。じゃ、おれは行くよ」

 コルブは水煙草をくわえたままそう言う。きょうは一人じゃないのに、不思議なことを言うとリブラは思った。振り向くとコルブはもう空に浮かび始めている。不真面目で協調性がなく、考えが読めない少年だが、リブラは嫌いではなかった。

「どうして、カイトはコルブを嫌うようになったんだろうね。前はよく遊んでいたのに」

 リブラが見上げながらそう言うと、コルブは少し困った顔になった。

「……嫉妬だろ。と、言うのはおこがましいかな?」

 コルブはそう返すと手を振って北へと流れて行く。リブラは意味が分からず首を傾げた。



(第4章(2)へつづく)