the shadow of silver
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朝には目覚め、夜には眠る、ごく当たり前の生活。

ただ、彼らの空にはいつも、銀色の魚が泳いでいた。

世界は、水の中にある。

 これは、そんな星の物語。


◇ 星祭り ◇

第1章(1)

第1章(2)

第2章(1)

第2章(2)

第2章(3)

第3章(1)

第3章(2)

第3章(3)

第4章(1)

第4章(2)

第5章

第6章(1)

第6章(2)

第6章(3)

第6章(4)

第7章(1)

第7章(2)

第8章(1)

第8章(2)

第8章(3)

第8章(4)

第9章(1)

第9章(2)

第9章(3)

第9章(4)

第9章(5)








第5章・渦



 水の都市は渦に飲まれる

 星を繋ぐ渦に飲まれる

 魚も人も渦に飲まれる

 眼には見えない渦に飲まれる

 渦に飲まれて道は二つ

 渦を恐れて寄り添って

 渦を忘れる都市を築いて

 見えないものは泡と成す

 あるいは

 渦の果てに故郷を感じて

 見えないものも夢とは感じず

 渦に飲まれて星と成す

 渦を知りつつ渦を忘れつ

 水の都市は渦に飲まれる



 『テレスコピウム気象台より』

 本日は波がやや強いものの、きのうに引き続き晴天に恵まれそうです。日中は水温も上昇し泡桜の芽も出始め、いよいよ春の到来もそう遠くないものと思われます。魚群指数は三十パーセントとやや高めとなっておりますので、外出の際には魚との衝突にお気をつけください。

 ところで、最近波の動きがおかしいなと感じられた方もおられると思いますが、これは北東から流れる波と、南西から流れる波との衝突によって引き起こされる『渦』と呼ばれる現象です。同じくらいの力を持つ二つの波がぶつかり合うと、『渦』という回転する波が発生する場合があります。何ということのない自然現象ですが、その『渦』が時折強くなると人間の平衡感覚を失わせてしまうことがあり、人によっては気分の悪い、嫌な波のようなものを感じる場合があります。この現象は春先まで断続的に続くものと思われますので、自分は『渦』に弱いなと感じる方は、あまり長時間外出されないことをお薦めいたします。



 ポラリス最大の建物、中央局(センター)の屋上に、双子のカストルとポルックがいる。二人は並んで欄干に腰かけて、外に向かって足を投げ出していた。はるか下では大通りが長く伸び、中央広場からは七色の噴泡が空高く昇っている。大通りを挟んだ両側には小箱を並べたような建物が広がり、西側はやたらと入り組んだ迷路住宅地となっている。東のはずれには大きな工場が建ち並び、何本も伸びた煙突からは薄汚れた水が絶え間なく吐き出されて、周囲の水を汚していた。

「なんと、ちっぽけな都市なのだろうか」

 上空の強い波に純白の髪をなびかせながらカストルが言う。

「この都市に一体どれほどの価値があるのだろうか」

 カストルと瓜二つのポルックが言った。

「こんな貧弱な要塞で、運命から逃れられると思っているのか」

「いくら奴らでも、そこまで浅はかではない。ただ力の限り抗おうとしているのだ」

「無駄だ無謀だ。無知で無遠慮で無秩序な奴らめ」

「だが、そんな奴らがここまで作り上げたことには驚愕以上の感動を覚える」

 双子は透明な涙を水に混じらせた。

「愚かな羊たちの健気な努力には、ぼくらの心を響かせるものがある」

「だが、所詮は儚い抵抗だ」

 双子の後ろで強く赤い光が明滅している。下の人間にもその光は点となって見えている。双子は強い波の中に、わずかな兆候を感じた。

「『渦』が始まる」

「緩やかに、だが確実に、魂の位置が動かされる。この都市にも少なからず影響が出よう」

「行こう、ポルック。『偉才ある羊』を迎える準備をしよう」

 カストルは立ち上がる。

「行こう、カストル。慎重に、そして必然的に行わなければならない」

 ポルックも立ち上がり、カストルと手を繋いだ。

 双子は屋上から飛び降りると、真っ逆さまに都市へと落ちていった。



 同じ時刻、噴泡広場のケトゥスは膝に乗せた古いラジオのスイッチを切った。気象台からの情報はそこで途切れる。老婆はラジオから聞こえた情報に対して、ただ、なるほどとつぶやいた。嫌な波の正体は『渦』だった。そういえばいままでにも数回、そんな現象が起きていたのを覚えている。ただ発生する頻度や法則が分からないので今回は気づくのが遅れたようだ。教えられれば何てことのない自然現象。老婆は魚に餌を与えながら空を見上げる。きょうの空は遠く澄み渡っていた。

 長年生きて来たといっても、老婆の知識はこの都市だけに限られている。気象の運行など知り得るはずもない。ましてや別の星のこととなると知っている物事の方が少ないだろう。所詮はケトゥスも閉塞された世界で完結している人間の一人でしかなかった。

「それにしても、嫌な波だねえ」

 慣れない波が追い打ちをかけるように、ケトゥスの気分を曇らせていた。



 同じ時刻。ピシスは自室のベッドに上で、両手を窮屈そうに曲げて本を抱え込んでいた。両手の麻痺は日に日に進行し、思うように動かせない。少年は苛立ちながら活字を眼で追っていたが、眺めるだけでさっぱり頭には入らなかった。机の上のラジオからは気象台からの情報が流れ続けている。肩を持ち上げて、肘をできる限り伸ばしてスイッチを力いっぱい叩いて切った。嫌な波は以前から感じていた。それが自分の体調によるものではなく、自然現象だと聞いて少し安心した。

 ピシスは最近どうも気が落ち着かず、ちょっとしたことにも苛立ち、癇癪を起こしていた。もちろん、手足が動かなくなるのはちょっとどころの事態ではないが、怒ったところで現状が変わるはずもない。少し開いた窓から嫌な波が入って来るのを感じて、また不機嫌になる。それを抑えようとする力との葛藤も不愉快だった。じっと堪えて、ゆっくりと気持ちを解してゆく。部屋の壁はやたらと白く、殺風景な印象が目立っている。それは彼自身が意図的にそうさせたものだった。

「……絵が描きたいなぁ」

 ピシスは小さく溜め息を漏らす。両手が岩のように、ずしりと重かった。



 同じ時刻。リブラは教室でカイトとの会話の途中、ふと奇妙な感覚に襲われた。神経を逆撫でするような、気持ちの悪い感じだった。リブラは、なんだろうと自分に問いかけた。

「どうしたの? リブラ。」

 ふいに止まった会話に気付いてカイトが声をかける。リブラはそれでも辺りを見回したり上を向いたりしていた。

「何事だい? リブラ」

「……今、何か嫌な予感がしたんだ」

 嫌な予感。それこそがリブラが感じたものだった。何か悪いことが起こりそうな気がしたのだ。しかし、それはあくまで気分の問題でしかなく、周囲を見回してもそれを感じさせるものは何一つ見当たらない。リブラは呆然とした表情でカイトの切れ長の眼を見た。

「カイトは感じなかった?」

「何が?」

「何だろう、嫌な予感。波が歪むような……」

 リブラはその状況を思い出しながら説明するが、カイトにはうまく伝えられない。

「波が、歪む?」

「うん、そう……あ、ほら、また」

 リブラは再び波の歪みを感じる。気分の悪いうねりだった。

「え? 分からないよ。リブラ」

「ほら、するじゃないか!」

 リブラが叫んだ途端、急に締め付けられるような頭痛に襲われた。片手で癖毛の頭を押さえる。異変に気付いてカイトが眼を大きくさせた。

「どうしたの、リブラ。頭が痛いのかい?」

「うん……何だろう。ぎゅうっとされたみたいに痛い」

「ひどいのかい?」

「それほどでもないけど……あ、治ってきた」

 そう言っている間にリブラの頭痛は徐々に弱まり、やがて何事もなかったかのように治まった。教室の窓から一陣の冷たい波が入り込んだ。

「これって何なの? カイト」

「それはぼくの言葉だよ。一体どうしたんだよ」

 リブラは腕を組んで首をひねる。何かの病気だろうか、しかしいまの感覚は、体の内部ではなく外部から刺激を受けたような気がした。それならなぜカイトは何も感じなかったのか。

「リブラ、遊び過ぎて疲れているんじゃないか?」

 カイトは呆れたような顔を向ける。

「そんなことないけど……そうかなあ」

 予想外な非難を受けたが、それを否定することもできない。結局、双方が釈然としないままにその話は終わってしまった。



 水中都市は『渦』に飲まれ始めた。

 季節の変わり目に起こるこの波の歪みは、空を泳ぐ魚たちを惑わせ、気象台の計測器の針を振るわせ、都市に住む者たちの一部に得体の知れない違和感をもたらした。ケトゥスやピシス、そしてリブラといった『渦』に敏感な者たちは、青く澄んだ高い冬空を見上げては、その眼には見えない波の動きに何事か、春の訪れ以上に世界の変化を予感していた。

 しかし、それがどのようなものなのかは、今はまだ誰にも分からない。

 『渦』は水中都市の季節とともに、そこに住む者たちの心をも動かし始めていた。



(第6章(1)へつづく)