the shadow of silver
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朝には目覚め、夜には眠る、ごく当たり前の生活。

ただ、彼らの空にはいつも、銀色の魚が泳いでいた。

世界は、水の中にある。

 これは、そんな星の物語。


◇ 星祭り ◇

第1章(1)

第1章(2)

第2章(1)

第2章(2)

第2章(3)

第3章(1)

第3章(2)

第3章(3)

第4章(1)

第4章(2)

第5章

第6章(1)

第6章(2)

第6章(3)

第6章(4)

第7章(1)

第7章(2)

第8章(1)

第8章(2)

第8章(3)

第8章(4)

第9章(1)

第9章(2)

第9章(3)

第9章(4)

第9章(5)








第7章・除外者、セルペンスの帰還



 都市・ポラリスの南の外れには、テレスコピウムと呼ばれる山がある。山といっても標高は人工の中央局よりもやや高いくらいしかなく、気軽に登るにはやや険しいが、登山と呼ぶにはやや味気ないという、山とも丘とも区別が付かない中途半端な土の固まりだった。ただ唯一の利用価値として、その山頂にはポラリスの天気を日々予想する気象台が建てられている。その正確さには割と定評があった。

 そのテレスコピウム気象台の報告によると、最近はますます『渦』の発生頻度が増しているらしい。その影響力は次第に重大なものなりつつあり、『渦』によって体調を崩して医者にかかる人間も現れ始めていた。『渦』の姿は目に見えず、だが確実に肌を通して精神を震わせている。世間では何かしらの大災害の前触れではないのかと危惧し、気象台へ問い合わせる者が後を絶たなくなっていた。

 しかし、そのことについては後日気象台から正式な発表があった。それによると、この『渦』現象は過去にもたびたび発生し、前例も多くあるという。いずれも冬の終わりから春先にかけて起きるもので、過去にも三半規管に一時的な損傷を受けた人間が多数現れたが、それも『渦』がおさまると自然完治しているので心配することはない。大災害、地震や大波に関しての報告はなく、気象台としてもこの『渦』が原因でそのような事態は起こり得ないと確信している、という内容だった。それで人々は安心し、重度の体調不良で通院を余儀なくされた人間を除く大部分の人間は元の生活を取り戻し、騒動はあっという間に終息した。

 なお、気象台の報告の続きによると、『渦』の現象の終了直後に、大波ではなく、全く波が起こらなくなる『無波(むは)』の状態が起こると、過去の事例を元に伝えている。これも被害は全くないものの、大波よりも珍しい自然現象で、波が完全に静止することで水に澱みがなくなり、夜空の星が普段よりも相当多く見られるだろう。と、付け加えていた。



 リブラは近ごろ、『渦』の影響のせいか、頻繁に起こる頭痛に悩まされていた。耐えられないというほどではないが、どうも頭がすっきりしない。学校へ行っても授業に集中できない。一度医者に看てもらった方が良いとカイトに薦められたが、それもずいぶんと大袈裟に思えて気が乗らない。そうこうしているうちに頭痛はますます酷くなり、とうとうある日ラケルタ先生から学校を早退して病院へ行くようにと勧告されて、校舎から追い出されてしまった。出席日数のみが取り柄だと思っていたリブラとしては大変な損害だったが、これ以上頭痛が酷くなるのも怖いので、指示通りに病院へ向かった。

 中央局管理の病院内では似たような患者が数名見られ、蛸のように頭が禿げ上がり、妙に赤みがかった顔の医者に看てもらうと、やはり『渦』の影響だと言われた。三半規管が敏感な人は『渦』の特殊な振動で頭痛を患ってしまうらしい。リブラは医者の薦めで、その三半規管を鈍くさせる注射を打ってもらった。注射は苦手だったがそんなことは言えず、蛸の医者が妙に嬉しそうにリブラの細い腕に針を立てた。その後、その薬は頭の働きも鈍くしてしまうので、きょうのところは帰って寝なさいと言われて、リブラは素直に従い病院を出た。

 病院を出ると嘘のように頭痛は治まったのでリブラ自身も驚いた。こんなことならカイトの指示通り、もっと早くに医者に看てもらっておくべきだった。ただ、その薬によるものか、頭は冴えず、歩行も何だか不自然に感じられる。リブラはきょうのところは真っ直ぐ家に帰っておこうと、大通りを大勢の人間と共に流れていた。まだ昼前であり、学校ではラケルタ先生が教鞭を振ってカイトたちが机に向かっているのだなと思うと、なんだかちょっと良い気分がした。

「リブラ君じゃないか」

 と、背後からいきなり声をかけられる。リブラが振り返ると、そこには両手に大きな買い物袋を下げた、背の高い青年が立っていた。髪と眼が気味悪いほど黒いその人物を見て、リブラはすぐに彼が『スクルプトル』の店主、セルペンスであると思い出した。

「セルペンスさん……」

 リブラは以前に彼に出会った時の状況を思い出して少し怖くなった。

「そう。覚えてくれていて嬉しいよ」

 セルペンスはリブラのそんな出来事も忘れてしまったのかのように、ずいぶんと楽しそうな顔をして少年の横に並んだ。青空の下、人混みの中で見ると、確かに不思議な雰囲気を漂わせているが、以前ほどは怖くない。だがそれは頭が冴えないからかも知れないとリブラは思った。

「どうかしたのかい? 顔色がすぐれないね」

 リブラの様子は傍目にも元気そうには見えない。セルペンスはリブラよりも蒼白い顔で、これは元々なのだが、例の無ければ窒息してしまうという水煙草そっくりの機械をくわえてリブラを見ていた。

「頭痛がするからお医者さんに看てもらっていたんです」

「それはいけない。大丈夫かい?」

「『渦』のせいだから、『渦』が止まると治るって」

「ああ、最近多いらしいね」

「セルペンスさんは大丈夫ですか?」

「うん。ぼくはこの星の人たちとは内臓に違いがあるらしくてね、『渦』も頭痛もまったく感じないんだよ」

 セルペンスはまだ自分が異星人であることを主張している。周囲の人間は彼の黒髪が気になって仕方がないらしく、横目でちらちらと覗いていた。上に浮かんだ柄の悪い少年たちも彼を指さしてはなぜか感心している。リブラは彼の流した真っ赤な血を思い出した。

「セルペンスさん、きょうはたくさんお買い物してますね」

 セルペンスの両手の買い物袋には食べ物のような物が大量に入っている。

「ちょっと必要になったから、チョコレートを買って来たんだよ」

「チョコレートを? ふぅん。どうしたんですか?」

「星へ帰れるようになったんだよ」

 セルペンスは嬉しそうに答えてリブラを驚かせた。

「へえ、良かったですね」

 リブラが素直に喜ぶとセルペンスはありがとうと答えた。宇宙船が直ったのか、同じ星の人間が迎えに来るのかは知らないが、どうやら本当に異星人だったらしい。

「でも、それでどうしてチョコレートを買うんですか? 帰り道で食べるんですか?」

「いや、これはぼくの星の人たちへのお土産だ」

「お土産?」

「ぼくの星では、お土産といえばチョコレートだからね」

 なるほど変わった星もあるものだとリブラは変に納得させられた。

「それじゃ『スクルプトル』はなくなっちゃうんですか?」

「そうだね。きょうで閉めるつもりだよ」

「きょうで? 残念だなあ」

 あのセルペンスと出会った一件以来、リブラは『スクルプトル』へ訪れてはいない。だがあの店の持つ独特な雰囲気が嫌いではなかった。

「そう言ってくれると嬉しいね。どうかな、いまから少し立ち寄るかい? 君なら店の物を何かあげてもいいよ」

 セルペンスに誘われリブラは迷う。頭痛はもう感じない。少し頭がぼんやりしているような気もするが危険というほどではない。医者からは家に帰って寝ていなさい言われ、学校ではまだ授業が行われている。

「ああ、体調が悪いって言っていたね。でもぼくはもうあすには出発するから、きょうしか会えないんだけど……」

 リブラは行くことに決めた。



 『スクルプトル』は依然として陰気な水と張り詰めた緊張感に包まれてはいたが、どこかその完璧な空間に小さな穴が空いたような雰囲気をリブラは感じていた。それは店主であるセルペンスの曖昧な存在感が失われたからだろう。もちろんそれはリブラが勝手に正体不明と思い込んでいただけで、セルペンス自身は始めから明確ではあったのだが。

 セルペンスはリブラを招き入れた後、大量のチョコレートを持って店の奥にある例の暗黒の入り口に消えて行った。残されたリブラは店内で、陳列棚に並んだ雑多な商品を冴えない頭で眺めていた。壁に整列した時計の音がきょうもまったくの狂いのない音を響かせている。じっと聞いていると、なぜか自分も商品の一つになってしまったような奇妙な感覚に襲われて、体の動きが急に鈍くなった。まるで夢の世界にいるような、思い通りに動けず、自分と他人との区別が曖昧になる。それは不安ではなく、むしろたとえようのない安心感をリブラにもたらしていた。時計の音が鳴り響く。陳列棚が波を受けたように歪み、用途不明の機械が歯車を回しながら浮かんでいる。行儀良く座った無表情な人形がその口の両端を持ち上げて、ぎこちなく笑っている。部屋全体がリブラを歓迎してくれている。少年も遠い眼をして笑い、意識が何人にも分かれた。水に漂っているように心地良いが、その幻想世界の中でも冷静さを保っていたリブラの意識の一人は、やはり帰って寝ておくべきだったのかもしれないと感じていた。

「何か欲しいものは見つかったかい?」

 戻って来たセルペンスに声をかけられて、リブラの広がった意識は急速に元の場所へと戻る。途端に周囲の世界が、元の陰気な静寂に包まれた。

「ええと、何でも良いんですか?」

「この星での最後のお客様だから、どれか一つなら何でもあげるよ」

 リブラは喜んで店内を歩き出す。陳列棚に並んでいるのは機械や彫刻や人形や、その他何か分からない物までさまざまだ。値段も安い物から、とてもは手が出ない高価な物まである。どうせもらえるなら一番高価な物にしようと考えたが、高額商品のほぼ全部がまったく使い道の知れない機械類であったので考えを改めることにした。セルペンスは店の壁にたくさん掛けられた時計の一つを熱心にいじっている。秒針の音が数ミリ秒狂っていたからだが、リブラがそれに気が付くはずもなかった。

 あれこれと品定めをしながら店内をさまよっていると、以前に心が惹かれた碧い宝石の存在を思い出した。あれはまだ残っているかと棚を探し出すと、果たしてそれは誰にも買われないまま同じ場所に置かれていた。宝石は以前と同じく冷たく、神秘的な碧い光を放ち、リブラの心を限りなく透明にさせた。

「いい物に目を付けたね」

 いつの間にかセルペンスが隣に立っている。リブラは彼の方は向かずに宝石を、宝石と同じく碧い瞳で見つめていた。値札は付けられていない。そういえばカイトはこれを単なる碧いガラス玉だと言っていた。

「これは、宝石ですか?」

「もちろん」

 当然のように店主は答える。

「カイトが、こんな宝石見たことがないと言ってたけど」

「そうだろうね」

「じゃあ、新種ですか?」

「いや、この星では採れない鉱物なんだよ。これはぼくが自分の星から持ってきた物だよ」

 セルペンスの言葉にリブラは驚く。異星の宝石。それならカイトも見たことがないはずだ。

「すごい! 何ていう宝石ですか? 名前はあるんですか?」

「ぼくの星ではこの宝石を『アクアマリン』と呼んでいるんだ。そんな名前を持っているのに、この星で採れないというのは面白いね」

 セルペンスはそう言ってほほえむ。リブラは感動して碧い宝石、アクアマリンに目を輝かせていた。

「他に宝石は持って来なかったんですか?」

「残念ながらそれだけだよ。ぼくの星では、アクアマリンは旅人に幸運を運んでくれると言われている。だからぼくは身に付けていたんだよ」

 リブラはじっとアクアマリンに見入っている。遙か彼方の星の光が美しかった。

「気に入ったのかい? じゃあそれをリブラ君にあげるよ」

「だけど、大切な物なんでしょ?」

「そうだね。でも、ぼくの旅はもう終わったからね。ぼくの星の宝石を、この星の君に渡すのも悪くないと思う」

 セルペンスは漆黒の瞳でリブラを見る。リブラとしても、とりあえずは遠慮してみたものの、本当は喉から手が出るくらいに欲しがっていた。

「それじゃあ、いただきます。ありがとうございます」

「でもこのままじゃ使い道がないね。指輪にしては石が大きいし、首飾りにしてあげようか?」

 リブラは自分がこの石を首から下げるとは思えなかったが、せっかくの申し出なので頼むことにした。セルペンスはアクアマリンを手に取ると店の奥へと消えて行く。リブラもその後を上機嫌でついて歩いた。異星人に対する悪い思いは、もうどこかへと消えてしまっていた。



(第7章(2)へつづく)