the shadow of silver
SOS日記本メルマガ掲示板プロフィール

出版書籍一覧 / WEB小説 「星祭り」 / WEB小説 「彼とわたしの静かな夏」 / WEB小説 「ミラージュタワーの『子供』たち」


朝には目覚め、夜には眠る、ごく当たり前の生活。

ただ、彼らの空にはいつも、銀色の魚が泳いでいた。

世界は、水の中にある。

 これは、そんな星の物語。


◇ 星祭り ◇

第1章(1)

第1章(2)

第2章(1)

第2章(2)

第2章(3)

第3章(1)

第3章(2)

第3章(3)

第4章(1)

第4章(2)

第5章

第6章(1)

第6章(2)

第6章(3)

第6章(4)

第7章(1)

第7章(2)

第8章(1)

第8章(2)

第8章(3)

第8章(4)

第9章(1)

第9章(2)

第9章(3)

第9章(4)

第9章(5)








第7章・除外者、セルペンスの帰還



 店の奥はやはり澱んだ水が溜まっており、入口付近よりもさらに暗く重い雰囲気を漂わせている。しばらく待っていると、セルペンスが二脚の折りたたみ椅子と道具箱を持ってこちらへと戻って来た。リブラは薦められるままに椅子に座る。セルペンスも正面で椅子を広げて腰を下ろすと、膝の上で道具箱を開ける。箱の中には首飾り用の鎖などが沢山入っており、そこからアクアマリンに似合いそうな台座を選んで作業を始めた。左の掌には以前ナイフで切り付けた傷が細い筋となって残っている。あの時は最初から最後まで恐怖の連続だったが、いま改めて言葉を交わしてみると、まるで人が変わったかのような好印象を抱いていた。

「セルペンスさんの星って、どんなところですか?」

「そうだな。前にも話したけど、この星と違って水が少ない星だよ。だから人間は水面より上の、空気に包まれたところで生きているんだ」

 セルペンスは作業を続けながら話す。もちろんいまも、空気を取り入れるという水煙草型の機械をくわえたままだった。

「空気の世界って、こことどう違うんですか?」

「一番の違いは乾燥することだ」

「乾燥?」

「そう、この星の人たちには分からないことだけど、空気の世界で生きていると絶えず体から水が失われていくんだ。それを乾燥と言って、ぼくの星ではそのためにいつも水を体内に取り入れなければならないんだ。この星ではコーヒーや紅茶はただ水を楽しむために飲むものだけど、ぼくの星では乾燥で死なないためにそれを取り続けなければならないんだ」

 リブラには乾燥というものか分からない。それはセルペンスの言う通り、この星の人間には絶対に理解できない状態だった。ただ相当、不便な世界なのは分かった。

「なんだか大変なんですね」

「いや、それもこの星と比べてそう思えるだけで、ぼくの星の人間はそれが当たり前なんだよ。比べるものがなければ苦労も苦痛も本当は感じられないものなんだ」

 リブラはそんなものなのかと納得する。時計の音がコチコチと鳴り響いていた。

「他には何かありますか?」

「他には色が鮮やかだ」

「ふうん」

「水がないから太陽の光もこの星より強い。すると草木の色や土の色、動物の色も凄く明るく派手になるんだよ」

「綺麗そうですね。じゃあ動物はどんなのがいるんですか?」

「それはこの星とあまり変わらないかな。水の中にはこの星の魚や蛸とそっくりな生物がいる。水の外には水犬や水猫にそっくりな生物がいる。ただ、ぼくの星の水犬はここと少し違って、絶えず水を欲しがって舌を出している。ああ、あと空には鳥がいたかな」

「トリ?」

「二枚の大きな翼を持って、空を泳ぐことができる生物だよ」

「翼って、天使みたいな?」

「そう、美しいよ。空の色も君の眼やこの石よりも真っ青だ。夜になれば真っ黒な空にいっぱいの星が見える。水がない代わりにあらゆるものが眩しく映るんだ」

 リブラはその光景を想像する。色鮮やかな花が晴天の下に咲き乱れている。見上げると空には沢山の天使が舞っている。

「まるで楽園みたいですね」

 しかしセルペンスはそれを聞くなり急に無表情になって顔を上げる。椅子に座るリブラは笑顔を固めてその顔を見返していた。

「……楽園じゃないんですか?」

 リブラが尋ねると、セルペンスは再び顔をうつむかせて作業を再開する。黒い瞳からは考えが全く読めなかった。

「人間の住む世界は、どこも似ているよ」

 そうして、やっとのことでセルペンスはぽつりとつぶやいた。

「似ているって、ここと?」

 それはいままでの説明でよく分かった。セルペンスの話を全て信用するなら、彼の星はリブラの住むこの星ととてもよく似ている。しかし、彼はそういう意味で言ったのではないようだ。

「リブラ君。ぼくはね、星から逃げて来たんだよ」

「逃げて来た?」

「ぼくは、ぼくの星の人間と社会が嫌になったんだ。人間は明るい未来や、幸福な世界を求めて一所懸命に生きている。でもその奥ではいつも寂しく悲しみ、苦しみに苛まれている。それでいて尽きることのない浅ましい欲望に取り憑かれて、自分や他人を傷付けあっている。ぼくはそんな理不尽で矛盾に満ちた人間の世界が堪えられなかったんだ。その不条理さに押し潰されそうになったんだ。だからぼくは故郷の星から脱出して、この星へと流れて来たんだよ」 

 セルペンスは自虐的に微笑む。だがリブラには話の意味が理解できなかった。

「この星へ来た時は感動したよ。空には魚が泳いでいる、人は浮かび、波に流され自由気ままに漂っている。リブラ君はぼくの星を楽園みたいと言ったけど、ぼくにとってはこの星こそが楽園のように思えた。生きるべき世界だと思えたんだよ。

 でも、しばらく過ごすとこの星もそれだけのことだと気がついたんだ。世界の美しさはぼくの星だって、この星には負けないくらい素晴らしいものだった。でも本当に求めていた、人間自体は全くそっくりだった。この星の人間も、ぼくには理解できない。あるいはぼくの方がおかしいのかもしれない。ともかく、結局ここにも居場所は用意されていなかった。いや、どこへ行っても所詮は同じだと気づいただけでも、この星へ来て良かったと思う。同じなんだ、人間が存在する限りは。しかし、ぼくも同じ人間だ、不思議なことに。それで、同じ居場所のない世界なら、せめて生まれた星で生きて行こうと思ったから、帰ることにしたんだよ」

 セルペンスは作業を続けながら語る。リブラはその言葉に圧倒されて黙っているしかなかった。彼はリブラが思い描いていたような異星人ではなかった。彼は使命を受けてこの星へやって来た訳ではない。ただ自分の居場所を求めてこの星に流れ着いたのだ。だがこの星も、彼の心を満たしてやることはできなかった。そして彼は再び、逃げ出した星へと帰っていく。あの日、彼は自分の血の色を見せるために、掌にナイフを突き立てた。うっすらと笑みを浮かべて、何のためらいもなかった。

「ぼくにとってはどの星の人間も、理解できない異星人なんだよ」
 セルペンスはそれで話を終えた。リブラにとっては彼のほうが理解できなかった。それは少年が未だ幼いせいでもあり、セルペンスの神経が鋭敏すぎるせいでもあった。

「いいものができたよ」

 セルペンスはアクアマリンの付いた首飾りをそっとリブラに手渡す。銀色の鎖を付けた宝石は少年の手の中で碧く輝いていた。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 セルペンスは先ほどまでの言葉が嘘のように優しく答える。リブラはなぜか、彼が可哀想に思えた。

「……大切にします。ちょっとぼくには着けられないけど」

「じゃあまた、誰か旅立つ人にあげるといいよ」

「異星人にですか?」

「旅立つ人が異星人とは限らないさ」

 セルペンスは穏やかな笑みを蒼白い顔に浮かべる。リブラは宝石を見つめたままうなずいた。刺すような光を目に映していると頭の奥に鈍い痛みを感じる。どうやらまた頭痛が起こりだしたようだ。

「ああ……また頭が痛くなってきちゃった」

「ああ、長居をさせたね。もう帰ったほうがいいんじゃないか?」

「そうします。もう会えないんですね」

「あしたには出発するんだ。たぶん二度と会うことはないだろうね」

 リブラは宇宙へ旅立つ方法を知らない。それは中央局でも未だ不可能なことだった。せっかく知り合いになれたのに、もう別れることになる。リブラは無性に寂しくなって、眼が赤くしていた。セルペンスもそんなリブラの顔を見て同じく寂しそうに微笑んだ。

「……夜になると空を見上げて、星を見るといい。きっとここからでもぼくの星は見えるだろうから」

「セルペンスさんのこと、忘れません」

 セルペンスは優しげな笑みを浮かべる。もう黒い髪も闇の瞳も怖くはなかった。

「ありがとう。ぼくもリブラ君のことは覚えておくよ。君はぼくのたった一人の友達だ」

 リブラは胸の締め付けられるような思いに堪えて、異星人と強く握手をして別れた。



 翌日、リブラはいつもより早く家を出ると、学校へ行く前に『スクルプトル』のある迷路住宅地に入った。もしかするとまだ出発していないかもしれないと考えたからだ。頭痛もきょうは気にならない。曲がりくねった狭い道を間違うことなく走り抜ける、ところがリブラ自身も驚いたことに、道に迷って『スクルプトル』を見失ってしまった。そんなことはありえないと思い、来た道を戻る。しかしまたしても『スクルプトル』を見つけられないまま、元の大通りへと戻ってしまった。リブラはもう一度慎重に、道の一つ一つに指を差して確認しながら迷路を進んで行く。そうしてやっと見つけられなかった理由が分かった。

 雑貨屋『スクルプトル』は、なくなっていた。ぽっかりと穴が空いたように、その部分だけ小さな空き地となっていた。リブラは呆然とする。あの店自体が宇宙船だったのか、宇宙船が店ごと運んで行ったのか、ともかく『スクルプトル』は町から綺麗に消失していた。リブラは近くの、家の前を掃除していた中年の女性に尋ねてみたが、セルペンスからは何も聞かされておらず、ただ引っ越したのだろうと素っ気なく答えた。空き地には何の痕跡もなく、削り取られたような白い地面が露出していた。

 リブラはまるで夢を見ていたような気分になり、本当に彼が異星人だったのか、そもそも彼が本当に存在していたのかも疑わしくなった。きのうの出来事も夢のように曖昧なものに感じられる。ただ、彼の存在が夢ではない証拠に、リブラのポケットには曇りなく輝くアクアマリンが入っていた。少年はそれを取り出すと鎖を持ってしばらく波に揺らす。そして宝石を眼に近付けると、それを通して空き地を見つめた。碧い世界には雑貨に埋もれた『スクルプトル』の店内と、そこにひっそりとたたずむセルペンスの痩せた顔が映っていた。



(第8章(1)へつづく)