the shadow of silver
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朝には目覚め、夜には眠る、ごく当たり前の生活。

ただ、彼らの空にはいつも、銀色の魚が泳いでいた。

世界は、水の中にある。

 これは、そんな星の物語。


◇ 星祭り ◇

第1章(1)

第1章(2)

第2章(1)

第2章(2)

第2章(3)

第3章(1)

第3章(2)

第3章(3)

第4章(1)

第4章(2)

第5章

第6章(1)

第6章(2)

第6章(3)

第6章(4)

第7章(1)

第7章(2)

第8章(1)

第8章(2)

第8章(3)

第8章(4)

第9章(1)

第9章(2)

第9章(3)

第9章(4)

第9章(5)








第8章・ピシスの描いた世界



 先日、ラケルタ先生と婚約したらしいスピカ先生は、普段の生活はもちろん、授業中でも生徒たちが恥ずかしくなるくらい陽気になっていた。お陰で以前のように大きな三角定規を携えて怒り散らすことがなくなったのはありがたい。ただその授業風景は、スピカ先生の楽しくて堪らないという思いと、それでも授業は真剣に取り組まなくてはならないという思いが葛藤しているらしく、教室は戸惑いと薄気味悪さが渦巻く奇妙な空間と化していた。

 カイトは簡単すぎる授業内容とおかしくなったスピカ先生がつまらないらしく、何度となく欠伸を漏らしている。リブラも怒られなくなったせいか授業に身が入らず、ずっと窓の外を眺めていた。泡桜の並木は花を付け始めて桃色に染まっている。教室の中も外も浮かれているように感じられた。

 カイトとコルブは仲が良くなった。ラケルタ先生とスピカ先生は結婚する。セルペンスは帰った。すべては収まるべきところに収まったが、リブラはなぜか落ち着かなかった。急速に世界が変わり始めている。しかし、自分は何も変わっていない。はたして自分は、この波に乗って行けるのだろうか。こんなことを思うのは初めてだった。

『きみのほうがぼくたちと決別してしまうんだ。それをこの星では成長と呼ぶかもしれないが、ぼくたちに言わせればそれも逃避以外の何物でもない』

 いつか聞いた双子の言葉が頭に浮かんだ。成長とはこういうことなのだろうか、逃避とはどういうことなのだろうか。あの双子は、何だったのだろうか。リブラには分からない。

『リブラ、最近どこかでお祭りなんてあったかな?』

 ピシスの澄んだ声が聞こえた。お祭りとは何のことだろう。ピシスはどんな夢を見たのだろう。リブラは迷路に入り込んでいた。出口はあるはずだ。何かのはずみですべてが分かる気がしてならないのに、いまはまだ何も分からない。世界は止まってくれず、どんどん先へと進み、どんどん変化していく。いや、変化していくのは自分自身かもしれない。それに気づいた瞬間、刺すような頭痛を感じた。少年は陽気な世界でひとり、重苦しかった。



 突然、教室のドアが開かれた。スピカ先生を含めた教室の人間全員がそちらに注目する。ドアの向こうからはラケルタ先生が慌てたような顔で姿を現した。

「あら、どうした……」

 スピカ先生はその言葉を途中で止めて、軽く咳払いをする。

「……どうされましたか? ラケルタ先生」

 数人の生徒たちがくすくすと笑った。

「授業中に申し訳ありません」

 ラケルタ先生はそんなことには気づかない様子で、せわしそうに教室を見回した。

「カイト君、それにリブラ君。ちょっと来てくれ」

 ラケルタ先生は二人の少年を見て手招きをする。欠伸を繰り返していたカイトはラケルタ先生のただならぬ雰囲気を察すると、いつもの冷静な眼に戻って立ち上がった。リブラも不思議そうな顔でラケルタ先生の元へと向かう。ラケルタ先生は二人を廊下に出すと、スピカ先生に何事か囁いてからドアを閉めた。残された生徒たちは呆然としていた。

「どうしましたか? 先生」

 カイトは静まり返った廊下で声を響かせる。

「……職員室に電話がかかってきてね、ピシス君が呼んでいるんだ。君とリブラ君と、あとコルブ君を」

「ピシスが?」

 リブラが返すとラケルタ先生はうなずく。カイトは軽く首を傾げた。

「どうしたのでしょう。授業中なのは分かっているはずなのに」

「ぼくもそう言ったんだが、どうしてもいまじゃなきゃ困ると言われたんだ。普段のピシス君ならそんな我が儘は言わないだろうし、何かあるのかもしれない」

 ラケルタ先生が最悪の事態を考えていることは少年たちにも分かった。

「病気は?」

 リブラは単刀直入に問い質す。ラケルタ先生はしばらく沈黙してから、あらためて口を開いた。

「きみたちだから話すけど、相当悪くなっているらしい。薬の効果も薄れて、例の麻痺がどんどん体の内部に浸食しているんだ」

「そんな……」

「とにかく、きみたちはピシス君の家に行ってやって欲しい。コルブ君も校庭に待たせてある。授業のことは気にしなくて良いからね」

「先生は?」

「……ぼくは呼ばれなかったんだよ。やはりきみたちのほうが励みになるんだろうね」

 ラケルタ先生は少し寂しそうに笑う。二人の少年は顔を見合わせてうなずいた。

「行こう! カイト」

 リブラは駆け出す。カイトもラケルタ先生に頭を下げるとその後を追った。

 校庭では先生の話通りコルブが待っていた。彼も話を聞いているらしく、三人は何も言わずにすぐさま走り出した。

「どうしたんだろう、ピシス」

 リブラが走りながら、どちらに聞くともなく言った。

「知らないけど、呼んでいるなら行ってあげないといけない」

 カイトが前を向いたままで返事をした。

「……危ないのかな?」

「そんなこと知らないよ!」

 カイトが白衣をなびかせて叫ぶ。校門を出ると正面の中央大通りはきょうも人に溢れ、二方向の流れが延々と続いていた。歩みは遅くなるがここでは走る訳にもいかない。カイトは流れに乗ろうと足を踏み出すと、後ろからコルブに肩を掴まれ引き寄せられた。

「なんだよ」

「空を走ったほうが速い」

 コルブはそう言うなり体の力を抜いて宙に浮かぶ。リブラとカイトが戸惑いながらそれを見ているとコルブは苛立たしげに声を上げた。

「飛べって言ってんだよ!」

 二人は考える間もなく地を蹴る。ふわりと、リブラは体重がなくなるのを感じる。カイトはただ驚いて辺りを見下ろしていた。

「人を踏みつけないように気をつけろよ」

 コルブはそう指示すると大通りの空を泳ぎ出した。二人も慣れないままにその後を追う。リブラは頭痛を忘れるほどの爽快感を抱き、セルペンスが言っていた『鳥』とはこういうものなのかもしれないと思った。見下ろすと、下の大通りには人の頭がぎっしりと並んでいる。何人かの大人が空飛ぶリブラを見て、けしからんといった複雑な顔で睨んだ。リブラは慌てて目を逸らした。

「なかなか似合うじゃないか、カイト」

 コルブは後ろを向いて笑う。カイトは複雑な表情のまま鼻で笑った。たしかに下を歩くよりも速く、あっという間に噴泡広場へと辿り着く。七色の噴泡の横をすり抜けると何匹かの魚が隣に並んだ。もう一度見下ろすとケトゥスがじっとこちらを見上げていた。



(第8章(2)へつづく)