the shadow of silver
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朝には目覚め、夜には眠る、ごく当たり前の生活。

ただ、彼らの空にはいつも、銀色の魚が泳いでいた。

世界は、水の中にある。

 これは、そんな星の物語。


◇ 星祭り ◇

第1章(1)

第1章(2)

第2章(1)

第2章(2)

第2章(3)

第3章(1)

第3章(2)

第3章(3)

第4章(1)

第4章(2)

第5章

第6章(1)

第6章(2)

第6章(3)

第6章(4)

第7章(1)

第7章(2)

第8章(1)

第8章(2)

第8章(3)

第8章(4)

第9章(1)

第9章(2)

第9章(3)

第9章(4)

第9章(5)








第9章・星祭り



 早朝、ポラリスの空は大量の魚群に覆い尽くされた。

 何百匹、何千匹ものその大群は互いの体をこすり合わせる音を都市に響かせながら、尽きることなく北へと流れていく。その音に目覚めさせられた人々は窓を開けて、道へと飛び出して、低くなった真っ黒な空に驚き呆然とした。大群はそんな下の人間たちを威嚇するように、さらに音を立てて波よりも速く突き進んでいく。皆は得体の知れない恐怖と危機感を抱き、今度こそ大災害の前兆かと体を震わせた。

 しかし、そのうち数もまばらになると、隙間から高い空が見えてきた。ほぼ全部の魚が北へ、中央局よりもさらに遠くへと消えていった。都市は途端に明るくなり、東の空の高いところに太陽の白い姿が現れる。道に立ち尽くしていた人々は、ようやく夜が明けていたことに気づいた。



 『テレスコピウム気象台より』

 今朝、ポラリス上空を大量の魚が流れて行ったのをご覧になった方も多いと思います。あれは冬の間は南の水温の高い地域で越冬し、春の訪れとともに一斉に北へ流れて行く『渡り魚』の一種が通過したものと思われます。俗に『春の使者』と呼ばれる彼らは、気象や水温の変化を敏感に察知して移動を始めます。彼らが通過すればいよいよ春本番を迎えることになるでしょう。

 本日はその通りに水温も急激に上昇し、都市の草木も一斉に春の装いを始めることになりそうです。魚群指数は十パーセント。外出の際にはお召し物にお気をつけください。

 なお、近頃話題となっておりました『渦』は、きょうの夜には完全になくなるものと予想されます。その後しばらくは波の起きない無波の状態が続きますので、今夜は空の星が一層多くご覧いただけそうです……。



 噴泡広場にはきょうも行き交う人と、広場に定住している魚と、それに加えてけさの大群から迷子になった渡り魚によって賑わっていた。道ゆく人は口々に渡り魚の凄まじさや春の陽気について語り合っている。空には春にちなんだ歌を唄う若者たちが浮かんでいる。冬着を脱いだ者が多いせいか、広場は明るい色に満たされていた。

 噴泡を取り囲んだベンチの一脚に、ケトゥスが小さく腰掛けて、増えた魚のためにいつもより多くの餌を落とすように撒いていた。うららかな春の日、しかし、思い出すのは数日前の哀しいピシスの葬儀のことばかりだ。少年の絵を最初に認めたのはこの老婆だった。才能溢れる心豊かな少年。なぜ彼は死ななければならなかったのだろう。そしてなぜ自分は生き存えて、ここに座り続けなければならないのだろう。それを嘆くにはもう老い過ぎている。ただ、その理不尽で乱暴な生命の取捨選択が悲しかった。

「『偉才ある羊』の才能をこの星で使うには、あまりにも制約が多過ぎる」

「『偉才ある羊』はぼくたちの星で必要になったから連れ戻したのだ」

 突然、ケトゥスの眼前に双子の子ども、カストルとポルックが現れた。二人はいつもの質素な服ではなく、なめらかな生地で作られた輝くような黄色いローブを着ていた。背中には魚のものとは違う、ふさふさと柔らかそうなひれが二枚ずつ付いていた。

「……婆ちゃんは、まだ必要としてくれないのかい?」

 ケトゥスは双子に問いかける。

「安心しろ。お前も大いに必要だ」

「だが、お前はそれ以上にこの星で必要とされている。だからまだ良い」

 双子は老婆の目の高さまで浮かぶ。背中のひれがぱたぱたと動いていた。

「珍しくおめかしをしているね。どうしたんだい」

「やっと『偉才ある羊』が帰還されたというのに、どうしてこの都市の羊どもは悲嘆に暮れるのだろう」

「どうして世界を作り、都市を造り、自分の心を頭のはるか奥底に沈め、ぼくたちを拒絶したがるのだろう。そんなことだから何も見えなくなってしまうんだ」

「婆ちゃんは、どうしてそんなにおめかしをしているんだいと聞いたんだよ」

「もうすぐ『渦』が止まる。そうすれば『星祭り』が始まるのだ」

「盛大にしなければいけない。ぼくたちもそのままではいられないんだ」

「そうかい」

「似合っているか?」

 カストルが精一杯に小さな胸を張る。

「お前の視野の狭い目から見ても、この姿はぼくたちに似合っているか?」

 ポルックもカストルの真似をして、胸を張った。

「ああ。とてもよく似合っているよ」

 双子はそれを聞くと互いの顔を見て嬉しそうにほほえんだ。ケトゥスは魚の餌を双子に差し出す。双子はそれをきちんと半分に分けて受け取り、頬張った。

「それで、星祭りって一体何だい?」

「喜べ。お前の時も盛大に催してやる」

「お前も、ぼくたちに負けないくらい綺麗な衣装を着せてやる」

「婆ちゃんは、星祭りって何だいと聞いたんだよ」

「この世界に捕らわれているお前に説明するのは困難だ」

「お前だって知っているはずなんだ。ただ忘れているだけなのだ」

 中央の噴泡が一際激しく泡を飛ばした。双子の一人、カストルは人に溢れる広場を見回し、もう誰もいなくなったとつぶやいた。ポルックはその場でくるりと宙返りをした。

「悲しきかな。もっとこの星の羊どもに教えてやりたいことがあるのに」

「悲しきかな。誰の目も耳も、濁った水が入り込んでいる。それが知恵なら大した悪知恵だ」

「……ピシスを連れて行くには早過ぎたんじゃないかい?」

「それを決めるのはぼくではない」

「かと言ってぼくでもないぞ」

「そうかい」

 暖かい波が三人の間を通り抜けた。

「ああ、ポルックもうこんな時刻だ」

「ああ、本当だ。随分と長居をしてしまった」

「もう還るのかい?」

 双子はうなずいた。

「きょうはしばしの別れを告げに来ただけだ」

「礼を言うぞ、ケトゥス。お前のお陰で随分とこの星でも楽しめた」

 双子は尊大な言葉を放って可愛らしくぺこりとお辞儀をする。ケトゥスは両手で二人の頭を軽く撫でた。双子は頭を上げると、背中のひれを強く動かし空高く浮かび上がった。老婆はそれを目で追った。

「今度は婆ちゃんを迎えに来てくれるのかい?」

「それを決めるのはぼくではない」

「かと言ってぼくでもないぞ」

 双子はぐんぐん上昇して行き、すぐに見えなくなってしまった。残された老婆はそれでもしばらく空を見ていたが、手元に魚が集まって来たので再び餌を撒き始めた。数十年繰り返してきた作業だ。気象台は今夜星が沢山見られると言っていた。それが星祭りのことなのだろうか。老婆はもう鈍くなった頭を回して考えていた。波のない町に起きる、星の祭り。顔を上げて、ぐるりと見回す。この広場だけ穴を空けたように、その周囲には高い建物が取り囲んでいた。

「星ねぇ……」

 ケトゥスは何かを決意したように立ち上がると、道行く沢山の人間たちを眺めた。

「マゼランかい?」

 ケトゥスがやや大きい声でそう言うと、歩いていた人間たちの一人、仕事の途中らしく背広を着込んだ、人の良さそうな青年が老婆に振り向いた。

「ああ、お婆ちゃん。元気かい?」

 マゼランと呼ばれた青年がケトゥスの元へ駆け寄る。老婆が名前を知らない人間はポラリスにはほとんどいなかった。

「ああ、元気だよ。マゼランも達者なようだね」

「まあね。どうしたんだい?」

「中央局へ行きたいんだけど、こんなに人が多いと危なっかしくていけない」

「中央局へ?」

「マゼランや。悪いが手を引いておくれ」

 ケトゥスはマゼランに魚の餌を差し出して頼む。ポラリスでこの老婆の頼みを断る者は一人もいなかった。



(第9章(2)へつづく)