the shadow of silver
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一人の少年が、青空を探して旅立った。

一人の少年が、彼を探して階段を下り始めた。

地上、803階で遊ぶ『子供』たち。

その世界は、長大な塔の中にあった。


◇ ミラージュタワーの『子供』たち ◇

第01話

第02話

第03話

第04話

第05話

第06話

第07話

第08話

第09話

第10話


第01話

<零 803階 リン>

 シュウが姿を見せなくなってから、もう3日も経った。どうやら本当に出て行ってしまったらしい。友だちの僕に声もかけずに、彼はたった一人でこの階から立ち去った。


<壱 803階 リン>

 頭に鋭い痛みが走って、僕は驚き目を覚ます。枕元には白髪と白ヒゲのタオ先生が、白樺でできた丈夫な杖を向けていた。

「……叩かなくてもいいじゃないか」

 僕は頭を撫でつつぼやく。天辺よりもやや右寄りに腫れ物の膨らみと痛みを感じた。どうやら瘤になっているようだ。

「リン! シュウが出て行ったのは本当か?」

 タオ先生は僕を睨みながら大声で言う。この老人は自分の耳が遠いせいか、いつも大声で話した。

「10日も見ていないんだから、そうだろうな」

 僕も負けじと睨むけど、老人の顔は変わらない。不機嫌そうな目と曲がり口のまま、喉の奥で重い溜息をついた。その背後にある灰色の壁には、丸くて黒い壁掛け時計が見える。まだ『馬』を少し過ぎたあたり。こんなに早起きしたのは何年ぶりだろう。

「シュウの奴め、本当に外へ出るつもりか。ワシがあれだけアマゼウスの教えを説いておるというのに」

 タオ先生は天井を仰ぎながら叫ぶ。僕はベッドから降りると、眠気でふらつく足を台所へと向けた。

「ワシはコーヒーなぞ飲まんぞ」

 振り向いて老人は言う。

「自分で淹れろ」

 僕はぶっきらぼうに返すと、薬缶に火をかけ、かたわらの戸棚を覗く。緑茶しか残っていなかった。

「……外へ出るなど、正気の沙汰ではないぞ」

 タオ先生は僕の背後でぶつぶつと呟いている。薬缶の笛の音が部屋に響いた。

「……外には、あの青空がどこまでも続いているのか?」

 急須と湯飲み2つを盆に載せて、タオ先生の方へと戻る。老人は僕のベッドに腰かけて、歪んだ煙草をしきりと吹かしていた。窓の向こうに灰色の壁が見える。ここからじゃもちろん青空は見えない。暗い電灯の光が見えるだけだ。外から鶏の鳴き声が聞こえた。

「リン、お前までそんなことを言うか。よいか、アマゼウスいわく、外の世界は我らの生の外にありじゃ。興味を持つな」

 タオ先生はアマゼウスとやらの教えを熱心に信じている、少し変わり者だ。大体そんな神様がいるなんて聞いたことがない。おおかたこの老人が自分で作った話だろうというのがこの辺りでの噂だった。

「それで、僕を叩き起こした理由は何だよ」

 僕は2つの湯呑みに茶を注ぐ。緑茶の清潔な香りが部屋に漂うと、先程の瘤の痛みを強く感じた。

「シュウを探して連れて来い。あいつは間違っておる」

 タオ先生はそう言うと、僕の煎れた茶をろくに味わいもせず一気に飲んだ。

「熱い!」

「行きたい奴は行かせてやればいいだろ、放っておけよ」

「ならん! 必ず連れて帰って来い、いいな」

 タオ先生はそう言うと、白樺の杖を突き立ち上がる。もちろん茶に対する礼の一つもなかった。

「あんたが行けばいいじゃないか」

「ワシは忙しい」

 タオ先生は煙草を床に捨てると、ぎくしゃくした歩みで立ち去る。杖のカツカツという音が静かな通路にいつまでも響いていた。

「……放っておけばいいんだ、あんな奴」

 そう呟いて、良い加減になった茶を飲み干す。僕はシュウが内緒で出て行ったことを根に持っているらしい。遠くからタオ先生の大きなくしゃみが聞こえた。


<1 666階 シュウ>

 私はその機械化された右手で、針の先よりも細かい装置のネジを締めている。これが完成すれば、この塔について何らかの秘密が掴めるのではないかと考えていた。頭上では歯車の回る音が聞こえている。右のパイプからは絶えず蒸気が噴き出している。あちこちでランプが明滅していた。

「……ちょっと、いいでしょうか?」

 突然背後から、しかもかなり近くから、幽霊のようなか細い声で呼びかけられた。私は作業に没頭すると周りの音が全く聞こえなくなる性質だ。驚きのあまり手が震えて、作業中のネジを落としてしまった。カラカラという音をたてて機械の奥に埋もれてしまい、それに反応して天井のスピーカからブザーが鳴った。

「ああ! 参ったなあ」

 私は機械化された右目で、ネジの落ちたあたりを見つめる。右目が小さな音をたてて、視力が10倍に拡大した。しかしそれでもネジは細かい機械の中に落ちてしまって見当たらなかった。

「あ、ご、ごめんなさい」

 背後から申し訳なさそうな声が聞こえる。どうやら少年のようだ。だが、私はもちろん振り向いてはいない。それどころではないからだ。

「いや、君のせいではない」

 私はそう言うと機械の中にもっと顔を近づける。それでも米粒より小さなネジは見つかりそうにもない。諦めるしかなさそうだった。

「……それで、一体全体、私に何の用だい?」

「……あの、ここは何階ですか?」

 少年はどうやら私の背中越しに作業を見ているらしい。だがもちろん少年にはこれが何の機械かは見当もつかないだろう。いや、この世界の誰一人としてこの機械の仕組みなんて分かるはずがない。ただ一人、私を除いては。

「666階だ」

 私は早口で答えて、今度は右手に置いていた箱を開ける。中には先程と同じ種類の細かいネジがびっしりと詰まっていた。私は機械化された右手の親指と中指の先端、針よりも細い部分でその中の一つをつまみ出すと、ネジの頭に人差し指をあてる。この指の先端はネジ回しになっているのだ。

「そうですか、どうも」

 少年はそうつぶやくと、ひとつ、小さな溜息をもらした。

「何階まで行く気なのかね?」

 少年の溜息が聞こえたせいか、作業を続けながら思わずそう尋ねる。右手がキュルキュルと鳴り、ネジがみるみる機械を締めつけた。

「……1階まで、です」

 少年は答え難そうに言った。変わった奴だ。なぜなら、この塔に住む者で1階を目指そうとする者などまずいないからだ。この私ですら96階より下へは行ったことがない。今後も行くことはないだろう。

「……向こうにドアの付いた箱が見えるだろ。そこに入って、中からドアを閉める。そして右側にある赤いレバーを下げると、一気に200階下まで移動できるだろう。使いなさい」

 私は作業を続けたまま、生身の左手で指示する。科学者は知恵と技術を惜しまない。こう見えても親切なつもりだ。少年はその方へ足を進めたらしい。そして恐らく、数多くある機械の中から人が入れそうな箱を見つけたようだ。

「あ、ありがとうございます」

 少年はそう言って頭を下げただろうが、もちろん私は見ていない。黙々と機械の右手を動かし続けた。ドアの開く音が聞こえたが、閉まる音はまだ聞こえない。

「……気にならないんですか? 僕が1階を目指している理由を」

 少年は思い切ったような声で尋ねてくる。

「気にならないな。人のことなんて」

 私はあっさりと返す。少年の反応は窺えず、遠くからブーンという低音が鳴り響いた。箱が作動したのだ。音が鳴り止んでから私はちらりと目を向ける。放電する箱の中に彼の姿は見えなかった。

 とうとう私は一度も少年の顔を見ないままだった。そのまま近くの書類をめくり、『転送装置』の項目を見つける。『実験確認済』の蘭に○印を付けると、書類を捨てて再び作業へと戻った。


(第02話へつづく)