the shadow of silver
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母が亡くなった日は、わたしの誕生日だった。

丘で出会った彼は、おだやかな笑顔を見せる人だった。

いつもの夏、いつもとちがう夏。

ベッドに眠るあの人は、ずっと死なない、死人だった。


◇ 彼とわたしの静かな夏 ◇

第01話

第02話

第03話

第04話

第05話

第06話

第07話

第08話

第09話

第10話

第11話

第12話

第13話

第14話

第15話


第02話

<三日月>(前)

 母の初七日が開けた日は、金曜日だった。

 きのうまではわたしも、お葬式の日から家に帰って来ている姉も慌ただしい日々を送っていた。初めて見る親戚達に挨拶をしたり、大勢の人が入れるようにと家中の襖を取り外したりと雑用に追われていた。襖というのはやってみると案外簡単に外れるものだ。古い家はこういう時のために簡単に外せるようになっているらしい、ということも弔問に訪れた知らない親戚から聞いた。

 お経はそれこそ毎日のように詠んだ。祖父が亡くなってからもう何年も詠んでいなかったけど、経文の文字を見て抑揚を聴くにつれて次第に思い出してきた。あのころはただ母の隣でたどたどしく読経していたけど、今あらためて読んでみると、なるほど何やらありがたいことを言っているのに気づいた。宗派が浄土真宗とやらだということも、二十歳になって初めて知った。

 初七日を過ぎて踏ん切りがついたのか、無理矢理つかせたのか、今日の父は早起きまでして元気そうだった。しかし会社へ行くまでの時間にすることがないのか、その元気が空回りしており、どういう訳か朝早くから家中を掃除していた。姉はそんな父の姿を見て安心し、他県にある、先に帰っている夫の元へと戻る準備をしていた。本日も晴天であり、やはり暑かった。

 姉が帰るというのでわたしも歩いて十分の駅までついて行くことにした。もう世間の学校は夏休みに入っているらしく、昼前から子どもたちが暑さも感じさせずに走り回っていた。

「孫の顔が見せられなかったのは残念だわ」

 奇声を発しながら走り回る子供を見ながら姉はそう言った。

「しょうがないよ。頑張ってんでしょ」

「まあ、ほどほどに」

 そう言って姉は笑う。二十五歳の姉はなかなかの美人だ。旦那が惚れるのも無理はない。

「お父さんも大丈夫みたいね」

「あの人は会社がクビになった時の方がショックだよ。多分」

 二人で笑う。遠くからゴーン、ゴーンという音が聞こえていた。

「最近ずっとあの音が聞こえるんだよ」

「そういえば、何か大きいビルが建つらしいじゃない」

「そうなの?」

「あんたここに住んでるのに、どうしてわたしより知らないのよ」

「ビルって、何のビル?」

「さぁ? デパートか何かじゃないの。何でもこの辺り最大のビルらしいわよ」

「へぇ、すごいね」

 でも所詮はこの辺り最大でしかないのだ。

「この街もどんどん変わっていくわね」

 姉もそのことに気づいていたらしい。むしろずっと住み続けているわたしよりも感じるのかも知れない。

「街は生きてるんだよ。人をどんどん取り込んで、大きくなっていく」

「えらく格好いいこと言うじゃない」

「他人の受け売りだよ」

 わたしはそう答えた。例の丘の上で出会った片町という男の人は、あれ以来見ていない。ビルを建てる音はまだ鳴り響き続けている。音のする方を探してみたが、この辺り最大のビルは見つからなかった。

 来た時よりも重い荷物を背負って電車に乗り込んだ姉を見送ると、これから今日一日をどう過ごそうかと考えた。久しぶりに自由にできる日が来たというのに大してすることがないのに気づき、自分自身が少し嫌になった。家の掃除をしようにも、今日は朝から父がやってしまった。駅のホームから見える線路に射す太陽の光は、見ているだけで暑かった。スーツを着たサラリーマン風の中年は、始終くしゃくしゃのハンカチで汗を拭っており、その隣から浮き輪を持った子どもが走り抜ける、その後を母親らしき女性が追いかけ、さらにその後ろを父親らしき男性がラフな格好で歩いている。まさに夏の風景だ。

 駅の壁に貼られた看板には、例のこの辺り最大のビルの宣伝がされていた。驚いたことに看板には本当に『この辺り最大のビル!』と大きく書かれていた。『セイデンスタワー』と名付けられたその建物は、タワーと言うよりはビルに近く、どうやら様々な専門店を集めた総合デパートになるらしい。開店は八月十五日である。まだ日があるけど、どうやらこの駅の近所らしいので、暇つぶしに見に行くことにした。

 晴天に映えるセイデンスタワーは、果たして開店日に間に合うのかと思えるほど建設が進んでいなかった。骨組みだけを見ると確かに周りのビルよりも頭ひとつ分ほど高い。ビルの前に立てられた大きな看板には、『街に新しい風を、セイデンスタワーいよいよ開塔!』という愚にも付かないキャッチコピーと、二割増しで綺麗にした塔と街の風景が描かれていた。開塔という単語も初めて聞いた。ビルの周りには施工業者らしい、日に焼けたたくましい人たちが昼ご飯を食べている。あの人たちは自分たちが作るビルに何を思うのだろう。缶コーヒー片手に笑う男たちがまぶしかった。

 セイデンスタワーの周りは区画整理されたらしく更地が目立つ。タワーがオープンすればこの辺りにも店舗が建ち始めるのだろう。街はどんどん成長していく。更地の向こうにはマンションやビルが多数乱立している。何気なく見ていると、あるビルの奥に白く大きな建物があるのに気づいた。窓がやたらと大きく、多い。壁の一番上に赤い十字の模様が描かれているらしいのを見ると、どうやらあれは病院らしい。今まであの病院には掛かったことがないので、わりと家の近所にあったにもかかわらず知らなかった。体をわずかにずらして名前を確認する。赤い十字の下には『片町総合病院』と書かれていた。

 そういえば例の丘で出会った片町という男の人は、医者の次男だと言っていた。するとあの病院に彼の父親が勤めている、いや名前から察するに、経営者なのだろう。てっきり町医者の類だと思い込んでいた。母の死んだ日に出会った片町のことを思い出して、ふと、もう一度会いたいと思った。あの病院にいるのだろうか? いや、彼は医者ではないと言っていた。いくら何でも病院に住んでいるとも思えないので、恐らくあそこにはいないのだろう。でも片町の家が分からない以上、あの病院へ行って聞いてみるのが一番早い。そう思って早速セイデンスタワーに背を向けて歩き出した。

 片町総合病院は当然のことながら、間近で見るとさらに大きかった。開かれた入口からは老人やパジャマを着た患者がノロノロと出たり入ったりしており、白衣を着た医師や看護士たちはセカセカと動いていた。駐車場には、まるで病院内でバーゲンセールが行われているのかと思うほどたくさんの車が並んでいる。その駐車場を取り囲む常緑樹の植え込みは青々と茂っており、晴天の空の下で実に健康的であった。

 しばらく迷った後、聞きたいことは受付で聞くのが一番早いと思い、病院内に入ることにした。広い待合室は大勢の患者にあふれ、科目別に分かれた受付も常に忙しそうだ。二つある『初診』と書かれた受付の内で、いくらか空いていそうな方を選んで近づいた。

「すみません」

 わたしはなぜか緊張している。

「こんにちは。初診の方は保険証を提出して下さい」

 受付の事務員はこちらを一瞥した後、また手元の書面を見ながら言った。

「いえ、あの、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」

「何でしょうか?」

 事務員は美人だがややきつい切れ長の眼を向ける。何だか学校の先生に怒られているような気分になった。

「あの、こちらに片町さんの所在は分かりますでしょうか?」

「片町? 院長でしょうか?」

 事務員はさらにいぶかしげな目でそう言った。院長とは恐らく彼の父親のことなのだろう。

「いえ、その息子さんの」

「陽介(ようすけ)さんですか?」

 そう聞かれてから初めて、片町の下の名前を知らないことに気づいた。果たして彼は陽介という名前なのだろうか?

「どうしましたか?」

 突然、背後から声をかけられる。振り返ると白衣に身を包んだ見知らぬ男の人が立っていた。

「あ、陽介先生。こちらの方が先生にお会いしたいと」

 事務員はそう早口で言った。

「ぼくに?」

 白衣の男はそう言ってこちらを見た。

「なんでしょうか。ええと、どこかでお会いしましたか?」

 彼がそう言うのも無理はない。わたしも初めて見る顔だった。しかしよく見ると、肌の白さや切れ長の目があの片町に似ている。丘にいた片町は医者の次男だと言っていた。すると目の前の男は彼の兄なのだろう。

「あの、弟さん、いませんか?」

 思い切ってそう尋ねる。

「ああ、月彦(つきひこ)のお知り合いですか」

 白衣の男はそう言って微笑む。その顔は片町、弟の月彦にそっくりだった。

「ここにはいませんよ。弟は医者ではありませんから。家を教えてあげましょう」

 陽介はそう言って待合室のソファの方へ向かう。わたしも後ろからついて行った。

 テーブルの上に紙を置いて地図を描く陽介を見ながら、彼にはわたしがどのように映ったのかを考えていた。いきなり家族に会って当人の家を聞き出す女など、変に思われはしないだろうか?

「弟さんは、独りで暮らしているんですか?」

「ええ、そうです」

 この質問も何だか怪しげに思われたような気がする。しかし陽介はそんなことを気にしていないのか、黙々と地図を描いていた。

「やはり、あなたもあれに興味を持たれたんですか?」

「あれ? あれって何ですか?」

 すると陽介は頭を上げてこちらを見る。

「ご存知ないのですか?」

「何ですか?」

「いや、知らないならまた月彦から聞かされるでしょう」

 陽介はそう言ってまた紙に向かった。何が何だか分からない。

「この病院って、片町さんの病院なんですか?」

「そうです。うちは昔からここで病院をやっています。今は父が院長です」

「それなのに弟さんは、お医者さんじゃないんですね」

「ええ」

「生物学的な研究をされていると聞きましたけど」

 そう尋ねると、陽介は少し笑った。

「研究? あいつはあれを研究と言いましたか。なら、そうなのでしょう。さあ、できました。ここが月彦の家です」

 陽介はそう言って地図を手渡してくれた。ずいぶんと細かく分かりやすい地図だった。

「こんなに丁寧に、どうもありがとうございます」

「どういたしまして。あいつに会ったら、たまには実家に帰ってくるように伝えておいてください」

 陽介は微笑みながらそう言うとソファから立ち上がる。彼が言った『あれ』について聞きたかったけど、わたしの話が終わるのを待っていたかのように近くにいた老人たちが立ち上がり彼に声をかけた。

「先生、昨日から腰が痛むんですが……」

「先生、今朝から食欲がないんですが、夏バテじゃなかろうか」

「先生、今日は津田が病院に顔を見せんが、どっか具合が悪いんでないか?」

 と、陽介はたちまちの内に老人に取り囲まれたので、諦めて病院を出ることにした。



(第03話へつづく)