the shadow of silver
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母が亡くなった日は、わたしの誕生日だった。

丘で出会った彼は、おだやかな笑顔を見せる人だった。

いつもの夏、いつもとちがう夏。

ベッドに眠るあの人は、ずっと死なない、死人だった。


◇ 彼とわたしの静かな夏 ◇

第01話

第02話

第03話

第04話

第05話

第06話

第07話

第08話

第09話

第10話

第11話

第12話

第13話

第14話

第15話


第05話

<上弦の月>(後)

 長尾が帰って来て、椅子に座ってお茶をすする。三人、正確には四人だが、みんな黙っていた。冷房の音が鳴り続けている。こういう沈黙は苦手だ。何か話さなければ、と思ってしまう。しかし長尾や月彦は気にならないらしく、一言も話さない。京橋静はもちろん話さなかった。

「どうして、京橋さんはここにいるんですか?」

 とうとうわたしから話を切り出した。京橋さんと呼んだのは、静と言うと、自分で自分の名前を呼んでいるようで変な感じがするからだ。

「そうですね」

 月彦はそう言った。長尾は煎餅か何かをかじっている。入れ歯かどうかは知らないけどしっかりしている。静は止まっている。

「拾ったんですよ」

「拾った?」

 こんな物そうそう落ちているものじゃない。

「その辺のことは長尾さんに聞いた方がよろしいですね」

 そう言って月彦は長尾の方を向く。長尾は緑茶をすすってから、ふむと言った。

「わしと秀一(しゅういち)、月彦君の爺さんじゃが、彼とは友達じゃった。当時は東京に住んでおったが、家も近かったせいかガキのころはよく一緒に遊んでおったのじゃ」

 長尾はそう話し始める。ずいぶんと昔の話だ。その頃はわたしの祖父も子供だったろう。

「その頃から片町の家は医者での。秀一の親父はとある名家の主治医を努めておった。その名家というのが、京橋家じゃった」

 なるほど、静の家も実在するのだ。

「当時の金持ちは病院に行くという感覚が少なくてな。大体は医者が呼ばれてあちこちへ走り回るのが普通じゃった。そして金持ちの家では主治医といってお抱えの医者を持っている所もあった。京橋家はそれこそ大した金持ちでな。政治家だか学者だかを沢山輩出しておった」

 長尾はそう言うとお茶をすする。わたしと月彦は、月彦は既にこの話を聞いているのだろうけど、二人ともじっと老人の話に耳を傾けていた。

「ある日、秀一の親父が一人の眠っている男を連れて帰ってきた。わしも秀一もその時は七歳じゃったかの。親父はその男を家にある部屋の一つに寝かせると、家族に、彼は京橋家から渡されたものだと言ったそうじゃ。それが静なのじゃよ。静はそれ以後、片町家に居続けておる。家族の方は静が居た所で食費が増える訳でもないから気にしなかったようじゃ」

 その感覚がすごい。医者の血だろうか。

「以上じゃ」

 長尾の話はいきなり終わった。

「もう、終わりですか」

「もう話すことはない」

「その後、京橋さんや片町さんは?」

「京橋家と片町家は秀一の親父を最後に離れ、秀一はこの街に移り住んで片町病院を開いた。静の研究は秀一も光一(こういち)君も、秀一の息子で月彦君の親父じゃが、二人とも行わず、静は放ったらかしじゃった」

「ぼくが初めに、静を拾ったと言ったのを覚えていますか?」

 先程まで黙っていた月彦はわたしを見てそう聞く。

「あれは冗談ではなく、本当に拾ったのですよ。家の物置から」

「物置、ですか?」

「そう、ガラクタに埋もれてね」

「大丈夫だったんですか? 京橋さんは」

「全く無傷でした。ホコリが積もっていましたが」

 ますます人形だ。

「ひどい扱いじゃな」

 長尾は煙草に火をつけた。月彦はどこからか灰皿を取り出して机の上に置いた。

「あの時は驚きましたよ」

 月彦は微笑む。わたしは自宅の狭い物置を思い浮かべた。あそこから人が出てきたらきっと腰を抜かすだろう。

「京橋さんは、返さなくて良いのですか?」

 わたしは聞いた。

「どこへですか?」

「京橋家へ」

「ああ、違うのですよ」

「違うって、何がですか?」

「静は別に京橋の血筋じゃないらしいのです。以前、静に出会った直後ですが、彼のことを調べまして、京橋家まで辿り着いたのです。それでぼくも、もし静が京橋家の者だったら返しておくべきだと思いまして、東京の京橋家まで行ったのですよ」

「で、どうでした」

「さすがに向こうも困ったようです。そこのお婆さんがぼくの家のことを知っていたので助かりましたが。でも、京橋家の家系図まで調べてもらったのですが静の名前はなかったのですよ。お婆さんも静の存在を知らなかったのです。だから静は京橋家の人間じゃなかったのです。で、いきなり静を渡されても困るだろうと思いまして、結局ぼくが引き取ることにしたのです」

 月彦は微笑んだ。静も大変だ。

「そうなんですか。それにしても人を引き取るというのも大変なんじゃないですか?」

「そうでもありませんよ。維持費はいりませんから」

 物置に詰め込んで置いても文句一つ言わない。

「それに、好きですから、静が」

 月彦がそう言ったので、一瞬驚いてしまう。彼が言っているのはもちろん京橋静のことで、田辺静のことではない。全く紛らわしい。月彦は気づいていないようだ。わたしの名前などもう忘れてしまっているのかもしれない。

「研究の方はどうなんですか?」

 人間が死んだまま止まっているというのは聞いたことがない。これが解明されれば大変なことじゃないのだろうか。

「ええ、全然進んでいません」

 月彦は微笑んで言った。

「どこか、大きな研究機関へは渡さないんですか?」

「渡しません」

「どうして?」

「どこかの大きな研究機関が、静の正体を見つけてくれるのなら渡しますが、たぶん無理だからですよ」

 そうなのだろうか? 少なくとも民家の一室で、医者でもない月彦が調べているよりはましなのではないだろうか? 月彦はそんなことを考えているわたしの表情を悟ったのか、

「未来はどうか知りませんが、今現在では解明は不可能です。ぼくが解明できないのだから」

 と言った。月彦の口からそんな台詞が出るのは意外だ。でも隣に座っている長尾も、緑茶をすすりながらうなずいた。窓から入る夏の光は目が痛くなるほど強い。静の顔にも光が当たり続けていた。

「京橋さんは、日焼けしないんですか?」

 下らない質問だと、自分でも思った。

「しません。メラニン色素が沈着しないのですよ。静はあらゆる外的刺激を受けません。ただ、止まっているのです」

 月彦は白いハンカチで眼鏡を拭きながら答えた。

 不条理な者がいる。存在するはずのない者が、存在している。そんな事を考えていると、隣で突然、何かが割れる音がした。すぐに眼を移すと、長尾老人が椅子から滑り落ちていた。

「どうしましたか、長尾さん!」

 月彦がそう言って長尾に触れる。長尾の顔は真っ青で、苦痛でくしゃくしゃになっていた。月彦は老人を床に寝かせると、脈を測ったり、熱を看たりしている。わたしは何をすれば良いのか分からず、ただオロオロとしていた。

「まずいですね」

 月彦はそうつぶやく。

「どうしたんですか? 長尾さん」

「長尾さんはあちこちに病気を持っておられるのですよ。しかもこの炎天下を歩き回りましたからね。疲れたのでしょう」

 月彦は驚くほど冷静に説明した。さすが医者の息子である。しかし感心している場合でもない。何とかしなければ。しかしわたしの頭に浮かぶのは、先程の話で疲れさせてしまったのだろうか? といったようなことしか無かった。

「ちょっと、ここにいてください」

 月彦はそう言って立ち上がった。

「どうするんですか?」

「救急車を手配します」

 そう答えて部屋から出ていった。わたしはただ長尾老人を見ているしかなかった。老人の息はさらに荒くなる。廊下から月彦の声が聞こえた。

「……ええ、月彦です。いえ、違うのです。家で老人が倒れたのです。ええ。そうです。危険です。はい、その可能性もあります。そうです。すぐにお願いいたします……」

 どうやら月彦は片町病院に電話をしているらしい。やがて早足で帰ってきた月彦はなんと銀色のトレイに注射器を乗せて持っていた。

「注射するんですか?」

「少しはましになるでしょう」

 月彦は注射器になにやら液体を入れながら言った。

「いえ、そんな、普通の人がしても……」

「医師免許は持ってます」

 即座に答えて、長尾の腕に針を刺した。わたしはまるで自分が刺されたような痛みを感じた。やがて長尾老人は、まるで魔法がかかったように落ち着いてきた。ちょうどその頃に救急車のサイレンが聞こえた。

「大丈夫、なんですか?」

「ぼくはそう信じています」

 家にチャイムの音が響いた。救急車が到着したのだ。月彦は激しい音をたてながら廊下を走っていった。普段の穏やかな動作は微塵も感じられなかった。やがて月彦は担架を持った二人の白衣の人物を従えて戻ってきた。白衣の二人はわたしを見た後に、床に倒れている長尾と布団の中で止まっている静を見て、困惑したようだ。

「二人ですか?」

 白衣の二人の内、やや太った方の人物が汗を流しながら月彦に聞いた。

「ご老人の方です。急いで下さい」

 月彦に急かされた二人は、長尾老人を少し看てから慎重に持ち上げ、担架に乗せた。月彦は廊下にいた別の白衣の人物に何事かを話していた。担架はその隣を器用にすり抜けて行った。わたしはただ立っているしかなかった。静はもちろん、この騒動でも止まっていた。やがて近くでサイレンの音が鳴り響き、遠のいていった。家は元の静寂を取り戻した。

「どうも、お騒がせしました。」

 部屋に戻ってきた月彦は拍子抜けするくらいに、普段と変わらない穏やかな表情でわたしに話した。

「後は陽介先生に任せておきましょう」

 月彦は割れた湯呑みの破片を拾い集めながら答えた。わたしも手伝おうと屈み込んだが、月彦は、危ないですからと言ってわたしを制した。

「……月彦さんは、どうして医師にならなかったんですか?」

 月彦の勝手と言えばそうだけど、医師免許も持っているし、家が病院を経営しているのなら、なっておくのが普通のような気がした。

「向いていなかったからですよ。医者は特にそれが重要です」

 月彦はさらりと言う。その態度がずいぶん格好良かった。向いていないと言ったけど、先程の手際の良さや普段の温厚な性質は充分医師としてふさわしい気がする。でも本人がそう言うのなら、そうなのだろう。

「さて田辺さん、勝手で申し訳ないですが、ぼくはこれから長尾さんのご家族と連絡をとらなければならないので、これでお開きにしたいのですが」

 最後の湯呑みの欠片を集めて月彦は言った。

「ああ、はい、すいません。わたしの方も長居しちゃって」

「いえ、楽しかったですよ。また来て下さい。静に会いに来てくれるだけも良いですから」

 京橋さんだけでなく、月彦さんにも会いに来ます。とわたしは言いたかったけど、何だか恥ずかしく、おまけに長尾老人があんなことになった現状を思い黙ってうなずいた。月彦はそれを見て微笑んだ。ふと静を見ると、なんだか先程よりも顔がほころび、まるで笑みを浮かべたような気がした。もちろんそんなことはないだろう。彼にも少し頭を下げてから、そそくさと退場した。



(第06話へつづく)