the shadow of silver
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母が亡くなった日は、わたしの誕生日だった。

丘で出会った彼は、おだやかな笑顔を見せる人だった。

いつもの夏、いつもとちがう夏。

ベッドに眠るあの人は、ずっと死なない、死人だった。


◇ 彼とわたしの静かな夏 ◇

第01話

第02話

第03話

第04話

第05話

第06話

第07話

第08話

第09話

第10話

第11話

第12話

第13話

第14話

第15話


第07話

<望月>(後)

「今日は千客万来ですね」

 月彦はそう言って部屋に戻ってきた。その後に続いて、チャイムを鳴らした客であろう、見知らぬ少女がついてきた。少女は学校帰りらしく、白い半袖の制服を着ている。胸の校章を見ると、どうやらこの近くの中学校に通っているらしい。背は低く、綺麗な黒髪は腰の辺りまで長く伸びている。眼が大きく、なかなか可愛い顔をしていた。

「誰?」

 少女はわたしを指さして月彦に聞く。ずいぶんと直接的だ。

「ぼくと静の友人で、田辺さんですよ。田辺さん、この方は狛田凜(こまだりん)さん。近所に住んでいる中学二年生です」

 月彦が紹介した。

「こんにちは、凛ちゃん」

 わたしは精一杯の愛想笑いで答えたが、凛は無言でわたしを見つめている。その黒く大きな瞳は、何だか心の中を見透かされそうで、ぞっとしなかった。凛は部屋の中へ入り込むと、慣れた調子で部屋の隅に立て掛けてあった折り畳みのパイプ椅子を広げ、静の枕元へ置き座った。

「どういう関係の子なんですか?」

「静の友達ですよ」

 黙って寝ているだけの彼なのに友達は割といるようだ。凛は静の顔をじっと見たまま、何事かを話している。その姿は人形に話しかける少女と同じだった。

「凛さんは、静と話ができるのですよ」

 月彦は凛の小さな後ろ姿を見ながら言った。

「……そんなこと、できるんですか?」

「らしいです」

「じゃ、凛ちゃんを通じて京橋さんと話ができるんですか?」

 それなら、月彦の研究も進むことだろう。

「できません」

「え? どうして?」

「月彦」

 突然凛が振り返る。

「田辺は月彦のララシーなの?」

 と、凛はまたわたしを指さして聞いた。ララシーとは何のことだろう。

「違いますよ」

「ふうん」

 凛は何事か納得したような顔をして、静の方へ向き直した。

「ララシーって英語ですか?」

 わたしは月彦に聞いた。

「違いますよ。凛さんは自分語で話すのですよ」

 それはまた難儀なことだ。

「だから、静と会話ができても、ぼくたちには伝わらないんですよ。今度は凛さんの自分語を訳せる人が必要になってきますから」

「でも、ララシーって言葉の意味は分かるんですか?」

「『恋人』という意味に近いようです。凛さんはぼくが見知らぬ女性といると必ず聞いてきますから。で、凛さんは静のララシーだそうです。静も認めているそうです」

 なるほど、月彦は、わたしが恋人かと聞かれて、違いますよと答えた訳だ。

「暇があれば、凛さんの自分語の辞典を作りたいと思っているのですが」

 月彦は穏やかな顔で凛の背中を見て言った。いつも暇そうに見えるのは気のせいだろうか。わたしは自分の椅子を凛の隣に運ぶ。凛はちらりとわたしを見て、また静に話しかけた。

「凛ちゃん」

「……何?」

「京橋さんはわたしのこと知ってるの?」

「知ってる。」

「歓迎されてるのかな?」

 凛は静をじっと見つめた。

「……喜んでる。同じカルパだから驚いたんだって」

「カルパって何?」

「フニ・カルパのカルパ。あまりライラ過ぎてビディーなかったんだけど、ヒストのお陰でダルドでもピルドでもユークラティスになったんだって」

「はあ?」

 自分語もここまで徹底していれば大したものだ。学校では大丈夫なんだろうか?

「カルパってのは、『下の名前』の事ですよ。田辺さんも静というお名前ですから、京橋の方も驚いたそうです」

 月彦が翻訳してくれた。

「ライラというのは? ビディーって?」

「そこまでは分かりません」

 なるほど、どうやら凛は本当に静と会話ができるらしい。そうでなければ、わたしの名前まで彼女は知らないはずだ。

「わたしも驚きましたって伝えてくれる?」

「自分で言ったら?」

 あっさりと拒否された。

「京橋さんとはどうやって話をするの?」

「ピキで」

 凛は相変わらず、自分語で答えた。どうやら凛の行動から察するに、彼女は静と読心術というか、テレパシーのようなもので会話しているらしい。ここに来る人間は実に不思議な者が多い。静が呼んでいるのだろうか? だとしたらわたしもそうなのだろうか。

「何か、不思議少女って感じですね。」

「そうですね。でもそれが夢見る少女の幻想や幻聴じゃなくて、事実ですから」

「そう、京橋さんって、ものを考えるのですか?」

「凛さんの話だと、しっかり考えて、しかもこの状況を把握しているようですね」

「でも脳は止まっているんでしょ? 何も考えられないんじゃないんですか?」

「そうです。脳も体も活動していません。でも凛さんは会話ができます」

「……もしかして、凛ちゃんの話が全くでたらめだとか?」

「でも、田辺さんのお名前は知っていました。わたしは静にはそのことを話しましたが、凛さんには教えていません」

「……不思議ですね」

「そうでもありませんよ。医学的にも常識的にも完全な死人である静が、その後死後硬直も腐敗も全く発生していない時点で充分異常ですから、今更テレパシーで会話できる人がいてもおかしくありません」

 そういうものなのだろうか。わたしにはそれが月彦の開き直りのようにも思えた。

「月彦、ジュネラ」

「はい」

 月彦はそう言って立ち上がる。

「ジュネラって何ですか?」

「コーヒーのことです、田辺さんももう一杯いかがですか?」



 月彦が運んできたコーヒーを飲みながら、わたしは凛の方を見ていた。凛は静を見つめながら時折笑ったりしている。その表情はその辺の中学生と変わらない、無邪気なものだった。

「凛ちゃん。」

「……何?」

 凛は弾んでいた恋人との会話に水を差されたような、不機嫌な表情で振り返った。

「京橋さんは何年に産まれたの?」

 我ながら良い質問だと思って月彦の方を向いたが、彼はなぜか諦めた表情をしていた。

「七九四年」

 凛はなぜか『ナナキュウヨン年』と答えた。

「そんな、昔なの?」

 凛は頷いた。七九四年といえば『鳴くよウグイス』で平安京ができた年だ。てっきり百年ほど前だと思っていた。月彦は間違っていたのだろうか?

「違いますよ」

 月彦は笑って答えた。

「凛さんは七百九十四年と言ったのではありません。七・九・四年と言ったのです」

「……どういうことですか?」

「自分年歴で答えたのです」

 本当に困ったものだ。

「じゃあ、今は何年なの?」

 今の年が分かれば、七九四年が西暦何年かが分かる。そう思って尋ねると凛は面倒そうな顔をした。

「四六三年」

「……何で戻っちゃうのよ」

「凛さん、来年は何年でしたっけ?」

「二六三八年」

 わたしは溜め息をついた。

「お願いだから、西暦で答えてくれないかな?」

「西暦はややこしいから使わない」

「じゃあさ、京橋さんは何月何日生まれかな?」

「ああ、それなら大丈夫です。月日は普通に使っているらしいですから」

 月彦が補足する。それは助かる。

「七月十七日」

「え?」

 わたしは驚いた。

「どうしました?」

「わたしも七月十七日生まれなんですよ」

「へえ、名前だけでなく、誕生日も同じなんですか」

「何か、運命を感じますね。」

「三六五分の一なだけ」

 不思議少女は冷めた声で答え、ジュネラ、もといコーヒーを飲む。

「冷静ね」

「現実主義だもん」

 それは知らなかった。

「そうですね。自分年歴を持っていようと、静と会話ができようと、それも現実ですね」

 月彦は微笑んで答えた。

「凛ちゃんは、人の心が読めるの?」

「うん」

 凛ははっきりとそう答えた。

「京橋さん以外の人も?」

「静は隠しごとをしないから読みやすい。他の人はあまり読めない」

「わたしの心も?」

「田辺の心は読みやすい。サンティラだから」

 わたしはサンティラの意味が非常に気になった。馬鹿にされたのではないだろうか?

「でも月彦は読めない。」

 凛は月彦をじっと見た。

「静以外の人の心を読み過ぎるのは、あまり感心できませんね」

 月彦は困った表情で言った。確かに良い気分はしない。

「……読まない。みんなつまんないことしか考えていないから」



 家を出ると辺りはもう暗くなっていて、空には見事な満月が浮かんでいた。凛の家は駅近くだというので、月彦の代わりにわたしが送って行くことになった。夜にもなると割と涼しく、夜風が心地良い。道に等間隔で備え付けられている街灯は三本に一本程度の割合で消えていて、明かりの付いている二本には蛾やら何やらが一杯集まっていた。

 月彦はこれから何をするのだろう? 彼の普段の生活が全く想像つかない。ご飯はちゃんと食べているのだろうか? といったことまで気になった。

「鯖の味噌煮」

 隣で歩いていた凛がふいにつぶやく。

「鯖の味噌煮って何?」

「鯖を味噌で煮込むの」

「いや、そうじゃなくて」

「月彦の晩ご飯。今から作るんだって」

「……わたしの心を読んだの?」

「田辺はサンティラだから。」

「あんまり読まないでくれるかな。恥ずかしいから」

「でも田辺は好き。良い心をしてるから」

 凛はそう言って微笑んだ。この少女の笑顔を見るのはその時が初めてだった。

「……ありがとう。」

 夜道は満月のお陰で思っていたよりも明るかったけど、それも何か不気味な気分だった。夏場は色んな人が増えるとも聞く。やはり月彦について来て貰った方が良かった。でも凛はそんなことなど気にならないのか、小さな声で、恐らく自分で作ったのであろう、自分語の歌を口ずさんでいた。

「なんか、恐いね」

「平気。悪い人の心は感じやすいから」

 凛はそう返してまた歌に戻る。それは便利だ。

 駅が近くなると街全体も明るくなり、人通りも多いのでわたしは安心した。

「田辺」

 凛が立ち止まった。

「……何?」

 わたしも立ち止まった。

「田辺は、月彦とララシーになりたいの?」

 凛はそう問いかける。ララシーって何だっけ? そう、恋人だ。

「え? さ、さあ、どうでしょうね」

 そうはっきりと聞かれてはこちらも照れてしまう。

「……月彦は、止めた方が良い」

 凛は地面を見ながら答えた。

「そうなの? 良い人じゃない。」

 少なくとも止めた方が良いと言われるような男性とも思えない。

「うん、良い人。でも」

「あ、もしかして、凛ちゃんがララシーになりたいの?」

「わたしは静のララシーなのよ」

 凛はきっぱりと答えた。ああそうだった。

「……月彦は、心が読めない」

 凛は大きな眼を向ける。

「うーん、思慮深いからじゃないの?」

「違う。月彦には凄く暗くて深い闇がある」

「闇?」

「うん、闇。それはみんな持ってる。でも月彦の闇はとても大きくて、深くて、ダズラやゴーラブとか、ゾルロゴズが一杯隠れている」

「それは、恐い人ってこと?」

「違う。かわいそうなの、月彦は」

 かわいそう? 月彦が?

「じゃあ。帰る。」

 凛はそう言うとわたしを残したまま走り去って行った。わたしは帰路を急ぐ大勢の人の波の中で、じっと立ったまま呆然としていた。

 月彦の闇とは何だろう?



(第08話へつづく)