旗印
60000hitの歴史



The Shadow Of Silverもついに60000hitを迎えるようになりました。
混沌とした世紀末に始まり、いつ終わるものかと思いつつも、
気が付けば輝ける新世紀となっておりました。

これからこのサイトがどのような方向へ進むかは分かりませんが、
ここで一度振り返り、60000hitへ辿り着くまでの歴史を振り返ってみましょう。





1.60000hitのはじまり

60000hitの出現は、遥か古代エジプト文明までさかのぼります。

エヂプト
(エジプトの三大ピラミッド)

60000hitは古代エジプトの王族をはじめ、庶民にも広く浸透しており、
当時の生活に無くてはならないものでした。

有名なクフ王の大ピラミッドの壁には、当時の絵文字で書かれた「60000hit」の文字を見る事が出来ます。

ヒエログリフ
(ヒエログリフによる60000hitの表記)

60000hitは太陽神ラーの使いとされ、死者の魂を運ぶものとされていました。



2.我が国での60000hit

日本に60000hitがもたらされたのは、古代エジプトからずっと後、西暦647年とされています。 
大化改新の2年後の事です。

年表
(略式年表)

現存する資料によると、中国から日本のとある浜辺(場所未特定)に流れ着いたようです。
当時描かれたと思われる絵からも分かるように、今とは違い、当時の日本人には非常に珍しいものであったと推測されます。

60000hitの図
(当時描かれたと思われる「六萬ひつと之絵図」)



3.おにいさんとの出会い

ここに驚くべき写真が残されています。

おにいさん&60000hit
(中央が60000hit。 左がおにいさん。 今と顔がずいぶん違いますね)

明治時代の写真ですが、60000hitと映っているのはなんと、S.O.S.でお馴染みの「おにいさん」。
二人は遥か昔に出会っていたのです。
ちなみに「ハテナくん」はまだ現れていません。



4.戦時中の60000hit

焼け野原
(見辛いですが、写真左、道に向かう人間の一番後ろが60000hitと思われます)

60000hitは戦時中、「撃墜王」と呼ばれる程の撃墜される名手でした。
その為、当時の日本政府は、60000hitを日本兵を守る「盾」として、大量生産を思い付きました。
生産された60000hitは、70000とも90000とも言われています
そのほとんどは、撃墜によって海の藻屑となってしまいました。



5.そしてS.O.S.の60000hit

そんな長い旅を続けた60000hitも、21世紀の1月、ついにThe Shadow Of Silverと出会いました。
S.O.S.&60000hit
(イメージ図)

しかし60000hitにとっても、S.O.S.にとっても、これは通過点に過ぎません。
さらに時代は流れてゆきます。
60000hitの歴史は、人間の歴史でもあります。
神として崇められ、浜に打ち上げられ、撃墜王と称された60000hit。
それは、いかに私達の身近に存在していたかを表しているのです。
新世紀。
The Shadow Of Silver と 60000hit。
これから更なる栄光を求め、二つは旅だってゆきます。


おしまい