新世紀無気力昔話其の弐
浦島太郎




21世紀になって間もないある日。
浦島太郎という者が、夕暮れの街を一人、歩いていました。

浦島さんはハタチ過ぎの無職です。 人より少し妄想癖が強い為、仕事がままならないので無職です。 ままならないのは仕事だけでなく、日常生活でもちょっとおかしな所があります。 その日も鳥籠から逃げ出した妖精を捕まえる為に外出していました。

浦島さんは街のあちこちを、空を見ながら歩いていたので、数回車にひかれました。 ひかれかけたのではなく、ひかれました。 血も出ましたが、大した事はありませんでした。 大した事はあったのですが、浦島さん的には大した事ではありませんでした。 しょっちゅうでした。

結局、逃げ出した妖精は見付からず、浦島さんは、やるせなさをポストにぶつけました。 そして帰る事にしました。

帰り道、路地裏で浦島さんは、数人の若者達が亀をいじめているのを見つけました。 浦島さんは妖精の代わりに亀を鳥籠に入れるのも良い事に気付きました。 浦島さんにしてみれば、もの凄くグッドアイデアでした。

浦島さんは若者達に、亀を放すよう説得しました。 若者達に訝しげに睨まれました。 そして浦島さんは殴られました。 その衝撃で浦島さんのスイッチが入りました。 浦島さんはスイッチが入ると、涙をも鼻水もよだれも流し、驚く程の大声を放つ事ができます。 全エネルギーを体外に放出するのです。 年に2回位しか使えない、浦島さんの必殺技です。 浦島さんはこれを「波動砲」と名付けようとして、止めた事もあります。 若者達はその圧倒的な力に、恐怖以上の気味悪さを感じ、退散しました。

浦島さんは残された亀に近付きました。 それは亀ではなく、亀のように身体をボロ布で包んだオジサンでした。 オジサンはモゴモゴと何か、礼の様なものを言いましたが、浦島さんは鳥籠に入れる事ができない事を知ったので、どうでもよくなりました。

浦島さんはオジサンに、ビニールの袋に小さく分けられたを渡されました。 浦島さんはよく分からないまま、その袋を全て破き、右手に乗せ、オジサンを見ました。 オジサンはモゴモゴと言いながら、自分の手を鼻に近付けるジェスチャーをしていました。 鼻から吸う事に気付いた浦島さんは、右手の粉を全て、鼻から一気に吸い込みました。 先程「波動砲」(仮)によって全てを放出したので、今度は一気に吸い込む事ができました。 粉はやはり粉っぽく、ちっとも美味しくありませんでした。 オジサンは浦島さんの手を引き、路地のさらに奥へと進んでいきました。 浦島さんはなぜか、地面がフワフワしている気がしました。

歩き続ける浦島さんは、ふと気付くと、街が水没している事に気付きました。 浦島さんは水をかき分けないと進むことが出来ません。 でもオジサンはすいすいと歩いていきます。 水の中を自由に動けるのだから、やはりオジサンは亀なのだと思いました。 でも浦島さんも息を吸う事ができました。 恐らくあの粉のお陰だろうと、都合の良いように解釈しました。 浦島さんはそういうのが得意です。

水中路地の奥には煌びやかな神殿がありました。 神殿のあちこちがきらきらと光り輝いています。 中に入ると、魚が沢山、浦島さんを迎えてくれました。 人間も沢山いました。 皆笑顔が眩しく、若く美しい男女でした。

神殿の一番奥には、一層華やかな美女がいました。 浦島さんは一瞬にして心を奪われました。 信じられない程の美女です。 浦島さんはなぜか、性的な感情は一切起こらず、ただ純粋にこの美女が好きになり、結婚しようと言いました。 美女が小さく頷いたので婚約は成立しました。 

皆で宴が始まりました。 何十人もの人間と、何百匹もの魚達が、浦島夫婦を祝福してくれました。 亀のオジサンも満面の笑みです。 浦島さんは山の様なごちそうを食べ、飲み慣れないお酒も沢山飲みました。

その内浦島さんは、世界がグルグル回るのを感じはじめました。 もう無茶苦茶でした。


浦島さんは、投げたサイコロを肩で受け止めると、タコの出す合図をのぞき見ている小学生の通学用ヘルメットを、巨大な国語辞典の角で外そうとする仕草を続ける夢を見ていないとも限りませんでした。 コンセントから流れる音楽に沿って東証平均株価が大暴落するのを懸念し、首相はじめ政府官僚行きつけの料亭の角で、じっと息を潜める過激派所属の大トカゲが、長い舌を豆腐の角に巻き付けつつ、朝のゴミ出しを強要されている中年の男性が動物園の前で、ウチのはアザラシにそっくりだなとふと思うのを思い、楽しかったあの日、アザラシとセイウチの区別も付かず、全校生徒の前で大恥を欠かざるを得なかった非常勤講師の苦悩の日々は、地元から出た事のない英語の女教師の東北なまりの西海岸英語が上手く伝わっているかどうかで僅かばかりに慰められている事は決してあり得ませんでした。 タイとヒラメの舞い踊りはいつまでも続き、浦島さんは二匹がバターになってしまった時の為に、パンを焼かなければならないという被害妄想に捕らわれ、必死に亀の尻尾がどこから伸びているかを観察しているドロップ好きのサクマさんが、やがては方程式と竪穴式とねじ式とアドビ・フォトショップ保存形式を追い抜き、自分のサクマ式ドロップスが年間消費量トップに躍り出て、グラミー賞をはじめ、世界中の賞という賞を総なめする日も近い事を知っているのかどうか、近寄ってきたサバと賭ける事を遠い夜空に誓い、抱き合いましたが、サバは思った以上に身体の表面がヌメリを帯びており、非常に気持ちが悪かったのですが、断るのも申し訳なく思い、諦めて抱き合うと、サバの首筋に歯を刺し、苦い血を味わいました。 握手を絶対に行わないゴルゴ13は、気が休まる日がなく可哀想だなと例の美女が眉をひそめていると、自分のワイングラスの中に、いつの間にかナイスガイが溺死している事を見つけ、勿体ないことをしてしまったと記者会見で詫び、後に社長職を辞任しましたが、いつまで経っても問題の抜本的対策案が打ち出される事もなく、業を煮やした取っ手のとれるティファールの鍋が、その煮汁をこぼし、ガスの火を消してしまったので、大田区の長島茂雄邸はセコムに入っていて本当に良かったと、今日も胸を撫で下ろす野村監督は、本当は心優しいジェントルマンに違いない事を、ここへ来てやっと浦島さんは知る事ができました。 長い長い日々でした。 具体的には2時間16分57秒でのゴールでした。






翌朝、浦島さんは、水没していない路地裏で、寒空の下仰向けに倒れていました。 手足は冷たく、黒ずみ、髪の毛は真っ白になっていました。 僅かに差し込む朝日が、浦島さんの貧弱な顔を照らしていました。 とても、とても美しい朝でした。

やがて空から、一人の小さく、可愛い天使が舞い降りてきました。 細く消え入りそうな声で、賛美歌を口ずさんでいます。 天使が動かない浦島さんの目の前まで近付くと、浦島さんは素速く動いて天使を捕らえました。 天使は逃げる事も思い付かない程驚きました。 

天使を強く捕らえている浦島さんは、天使の様な笑顔で家へと帰っていきました。 大満足でした。


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