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[本日の独言(ひとこと)]
AIによって仕事が奪われるという言葉にはいつも違和感を覚えている。洗濯機を例に挙げるまでもなく、人類による技術の進歩は常に労働の軽減にあったはずだ。AIが仕事を引き受けてくれるならば私たちはもう働かずハッピーに過ごせるのではないかと思うのだが、どうもそういうわけはいかないらしい。恐らくこれは労働を中心に据えた現代社会の構造によるものだろう。ああ、いつから私たちは勉強して働かなければいけなくなったのでしょうか。
先日のニュースによると、政府の有識者会議が年内にまとめる人工知能(AI)活用の基本原則の素案が明らかになった。AIは人の幸せ実現のために活用し、AIの提案は人が判断するという『人間中心の原則』やプライバシーや透明性の確保など七つの原則を提示したそうだ。 (1)人間中心 AIは人々の自由拡大や多様な幸せのために使われる。 AIの提案は人が判断する。 (2)教育・リテラシー すべての人がAIを正しく理解し、便益を得られるよう教育の機会を平等に提供する。 (3)プライバシー確保 個人情報を本人の望まない形で流通させたり、利用したりしない。 (4)安全性確保 サイバー攻撃や情報流出で安心・安全が損なわれてはならない。 (5)公正競争確保 特定の国や企業がデータを独占したり、AIによって富が一部に偏ったりしてはならない。 (6)公平性、説明責任、透明性 AIの利用によって差別があってはならない。 AIの動作について可能な限り説明責任を果たす。 (7)イノベーション 人材や研究の国際化・多様化を進める。 国境を超えてデータを相互利用できる仕組みを作る。 アイザック・アシモフの『ロボット三原則』に比べると、なんとも面白味に欠ける基本原則だと思う。なぜならこの原則は、社会がこれと逆になることを恐れて制限をかけようとしているからだろう。AIは人々を縛り付けて、不幸にして、平等に提供されず、個人情報を流出させて、サイバー攻撃を受けて、特定の国や企業が独占して、差別を助長して、閉塞感をもたらす。なるほど、こちらのほうが起こりやすそうな未来だ。しかしそうまでAIを制限して、一体何に使うつもりなのだろうかとも思う。 ちなみに最初に書いたAIによって仕事が奪われるという話。実際のところ初めは作家や画家や音楽家といった商業芸術分野に携わる人たちが仕事を失うだろうと私は想像している。なぜならAIとビッグデータが最も有効に活用で きる分野だから。それと奪われても困る人が一番少ない分野だから。どうしよう。 [一日三報]
[読売新聞] AIやロボが仕事奪う事態「数十年は起きない」
上記の話に合わせたタイムリーな記事。 私も大体こんなイメージを抱いている。 ただ、やはり『AIやロボは仕事を奪わない』『あくまで人間の道具』といった言葉から『だから大丈夫』という話に繋げるのに違和感。 なぜ人間とAIが対立関係になるのか。 [ロイター] 希少ウイスキーの調査で、多くが「年代に偽りあり」
そんなもんだろうと思ったり。 でもああいうのは骨董品の壺と同じく自己満足で楽しむ物だと思うので。 わざわざ明かすような無粋な真似はせずに、素直に夢を信じ込ませておいたほうが幸せで美味しい時間を楽しめるのではないかと思ったり。 [AFP] 村が滅亡する...「終末の予言者」を逮捕 エチオピア
嘘をついたから逮捕されたのか、真実を語って騒ぎを起こしたから捕まったのか。 日本でこんなルールができたら、ネットの人たちは片っ端から捕まりそうね。 [本日の独言(ひとこと)]
日本漢字能力検定協会が主催する年末恒例の『今年の漢字』。今年の世相を表す漢字には『災』が選ばれたとして、清水寺の貫主が大勢のカメラの前で大きく揮毫していた。一般公募により最も応募数の多かった漢字一字が選ばれるそうだが、『震』だの『毒』だの『戦』だの『偽』だのと毎年あまりいい漢字が選ばれている気がしない。僧侶が筆で大きく文字を書くというのは、もはや呪詛の類いではないのかと思うのだが、漢検協会も寺も新聞もテレビも特に問題とは思わないようだ。
過激な活動でも知られる米国の動物保護団体PETAは今月、無駄な行為を意味する『死に馬に鞭を打つ』(flog a dead horse)や、一つの行為で二つの利益を得ることを意味する『一石二鳥』(killing two birds with one stone)など動物や食肉に関連する慣用句は、同性愛嫌悪や人種差別と同じとして、代わりとなる表現に改めるよう提案した。 たとえば『死に馬に鞭を打つ』は『餌をやられた馬に餌をやる』。『一石二鳥』は『一スコーン二鳥』。生活費を稼ぐ、口に糊するを意味する『ベーコンを家に持ち帰る』は『バゲット(パン)を家に持ち帰る』などを提案しているそうだ。 くだらない主張だと思うが、代替案を出してくるところはさすがとも思う。なんでもかんでも差別語だと怒る人も、代わりにどう呼べば満足なのかも示して責任を取って欲しいものだ。言葉には霊力が宿り、不幸な言葉は不幸を呼ぶ、とは思わないが、新語やら流行語やらキャッチコピーやらに左右されて、ものの見方や考え方が変わることもあるだろう。そういう意味もあって、『今年の漢字は災です!』なんて大っぴら発表するものじゃないと思う。 [一日三報]
[読売新聞] 薬物が汚染する「幸せの国」将来不安な若者増加
[AFP] 「幸せの国」ブータンから追われた不幸な少数民族ローツァンパ ブータンが幸せの国と呼ばれる由来は、前の国王が国民総幸福量(GNP)という謎の尺度を発明して、その最大化を目指す政策を取っていたから。 いわば小学校の校長先生が『うちの学校にイジメはありません』というようなもので、非常に危うい話でもあります。 でもそれは他国の話なので好きにすればいいと思いますが、日本のマスコミまで『幸せの国ブータン!』と言い続けるのは、かつて某国を『地上の楽園』と呼んでいたような薄気味悪さを感じます。 ブータンの映像を見ていると、国民は慎ましやかではありますが、幸せかはどうかは。 鎖国時代の江戸幕府を幸福と見るような感じじゃないかなと。 [CNN] 犬は飼い主が思うほど賢くない――認知力比較で結論
あらためて言ってやるなよとも思ったり。 飼い犬の賢さは、親が我が子を賢いんじゃないかと錯覚する程度に見るべきかと。 犬に限らず、猫もカラスもチョウチンアンコウも、結構賢いと思います。 むしろ人間は、実はそこまで賢くないのではと疑い始めています。 [ウェザーニュース] ほとんどの人が勘違い!? 今が旬の牡蠣「生食用」と「加熱用」の違い
ほとんど毎年、同じ話題が出ているような気がしたり。 それならむしろ、誤解を招く表記がいけないのではないだろうか。 [本日の独言(ひとこと)]
妖怪漫画家の水木しげるは、かつて『妖怪千体説』を唱えていた。それによると、世界中に妖怪や妖精は無数にあるが、それぞれ共通したところも多く、およそ千種類に集約されるという説だった。
私は妖怪には詳しくないが、似たような点では土着信仰の神様にも言えるだろう。日本神話の天照大神、エジプト神話のラー、ギリシャ神話のアポロン、北欧神話のソール、仏教の大日如来、全て太陽の神様や仏様だ。同じように海の神、空の神、山の神、あるいは蛇の神、鳥の神、木の神なども共通点が見られる。つまり神様は目に見える自然現象を理解しようとして生まれた存在であり、妖怪は目に見えない自然現象を理解しようとして生まれた存在ともいえる。人間の好奇心による産物だから、どこの国でも似通ってくるのだろう。 ニュージーランドにはキーウィという有名な鳥がいる。灰色で足が太く、翼が無くて嘴が長い姿の愛らしい鳥だ。この鳥にはある伝説がある。昔々、空の神様が森の神様に頼まれて、木の根に付く虫を退治することになった。神様は鳥たちを集めて、誰かにこの役目を任したいと聞いて回った。ところがエリマキミツスイは地面は暗いから嫌だと言う。セイケイは地面が濡れているから嫌だと言う。カッコウは巣作りが忙しいから嫌だと言う。困った神様は最後にキーウィにお願いすると、キーウィは引き受けましょうと答えた。 キーウィのお陰で木々は健康になり森は大きくなった。そして神様は言う。エリマキミツスイよ、お前は臆病だから首に羽をまといなさい、セイケイよ、濡れるのが嫌なら一生沼で過ごしなさい。カッコウよ、巣作りが忙しいなら他の鳥の巣を横取りしなさい。そしてキーウィよ、お前は地面で落ちたせいで美しい翼を失った。その代わりに一番有名で誰からも愛される鳥になるだろうと。 遠く離れた島の伝説だが、妙に日本の昔話のような趣がある。例えばスズメとツバメの昔話。昔々、あるところに姉のツバメと妹のスズメがいた。ある日海からトビウオが現れて、遠く離れた二人の両親が危篤にあると伝えてきた。妹のスズメは慌てて、着の身着のままの姿で両親の元へと向かった。一方ツバメは綺麗な服を仕立て、頬紅を付けてのんびりと向かった。お陰でスズメは両親の死に目に会えたが、ツバメが来た時にはもうお墓が建っていた。 それを空から見ていた神様は、スズメの親孝行を称えて、汚れた身なりでも人間の作る米や穀物を食べることを許した。一方でツバメの親不孝を叱り、綺麗な服を着ていても虫しか食べることを許さなかったという。 ニュージーランドの伝説も日本の昔話も、やはり神様や妖怪と同じく身の回りの不思議を理解しようとして生まれた逸話だろう。これが人間の発想力や創造性の原点と限界と考えると、なかなか興味深くて面白い。 [一日三報]
[AFP] 世界のネット利用者は39億人、史上初めて総人口の半数超えへ
逆に言うと、世界の半分の人はインターネットなどに頼らない暮らしを歩んでいる。 インターネットのお陰で世界の情報インフラは活性化されて、その結果、科学や医療も進歩して人類の生物的目標である生存率の向上に繋がっていることは否定できない。 とはいえ、万人等しく情報端末を持つ必要があるかとなると、やや疑問を抱いたりもするわけで。 果たして我々は幸福になれたのだろうかと、ネットの片隅でつぶやいてみる。 [Forbes] AI技術で「IQが低い生命」を選別、米企業が開発
[ロイター] 北京が初の「市民ポイント制」導入、信用度に応じて付与 今日のディストピア。 一体未来はどうなるのか? という思いもあるが、考えてみれば今までも「IQのようなもの」で選別したり、人に「ポイントのようなもの」を付与して社会を成り立たせてきたわけで。 それがネットやら何やらのお陰で顕在化できるようになっただけとも言えるだろう。 問題はそれを恣意的な差別とみるか公平な区別とみるかの違いではないだろうか。 もうコンピュータに全部任せようぜ。 [日経新聞] DeNAが「0円タクシー」広告主が運賃支払い
とてもお得で素敵なアイデアだと思うが、この国の街がいつまでも下品なチンドン屋から抜け出せない理由のような気もしたり。 そのうち、普通の車にも広告を付けまくって、代わりに安く売り出すようになるかもね。 あるいはシェアカーにして、走れば走るほど広告の露出機会が増えるから料金が割引になるとか。 [本日の独言(ひとこと)]
浅田真央選手など多くの優秀な選手を育成してきたフィギュアスケートの名コーチ、ロシアのタチアナ・タラソワさんの髪の毛が逆立ったそうだ。
もう少し詳しく解説すると、ロシアの女子フィギュア界で『女王』と称されているエフゲニア・メドベージェワ選手が今年、11年間師事してきたコーチと決別して、カナダへ拠点を移すことを発表。有名な師弟関係の解消と、ライバル国への移籍にロシア国内を始め世界中で大ニュースとなった。 その後11月の大会で4位という、彼女としては不甲斐ない成績に終わったことで、ロシアのマスコミやSNSなどで『コーチや祖国を裏切った』といった誹謗中傷が相次ぎ、それを知った先のタチアナ・タラソワさんは『髪の毛が逆立った』とコメント、『どうして分かれたのか、どうして国を去ったか、何がわかるって言うの』とメドベージェワ選手を擁護した。 私はフィギュアスケートに詳しくないので、上記のニュースも後々から知ったに過ぎない。ただロシア人が『髪の毛が逆立った』とコメントしたことに強く興味を持った。読んだニュース記事は日本語版だったので分かりやすく翻訳したのかと疑ったが、ロシア語の元記事でも『髪の毛が立った』と確かにコメントしていた。ロシア人も怒ると髪の毛が逆立つとは知らなかった。 怒りで髪の毛が逆立つというのは日本でもよく使われる表現だ。元は『怒髪天を衝く』という言葉に由来しており、これは中国の歴史書『史記』に書かれた逸話が元になっている。かつて趙国は秦国の昭王から和氏の璧(かしのたま)という有名な玉と十王の城とを交換しようと持ちかけられた。趙国の家臣・蘭相如は秦国におもむき玉を差し出したが、昭王は城を渡す気がないこと分かった。それで蘭相如は逆立った髪の毛が冠を突き上げるほど怒り、その玉には傷があるぞと嘘をついて玉を取り返した。このことから『怒髪冠を衝く』という言葉が生まれて、その後『怒髪天を衝く』とさらに誇張されて使われるようになった。ちなみに傷があるぞと言って無傷の玉を無事に持ち帰った逸話は『完璧』の由来になった。 猫科の野生動物やスーパーサイヤ人が感情の高ぶりにより毛を逆立てるのは有名だが、ただの人間の毛が怒りで逆立つということはない。にもかかわらず、日本人も中国人もロシア人も『髪の毛が逆立つ』=『怒っている』と認めているのは不思議な話だ。言葉の由来に字体や発音から共通点を見い出す研究は多いが、非現実的な表現から繋がりを探してみるのも面白そうだ。 なおタチアナ・タラソワさんが単に中国や日本びいきだったという可能性もある。 [一日三報]
[AFP] 「軌道上サービス」 宇宙ごみ問題の解決策となるか
今日のプラネテス。 SFの仕事もそろそろ現実的なものになりつつあります。 通称『掃除屋』、しがない宇宙デブリの掃除人としてオンボロ宇宙船で薄給を稼ぐ、やさぐれた若い男。 しかしその正体は、みたいな展開を希望。 [読売新聞] 子供の虫歯なりやすさ「西高東低」…原因は不明
しつけや学校での指導の差もあるかもしれませんが。 なんとなく、西は砂糖を使った甘い物、東は塩を使った塩辛い物が多いような気もします。 でも日照条件や寒暖の差が影響を及ぼしているとしたら興味深い。 もしくは、西の人は切歯扼腕することが多いのかも。 [毎日新聞] カラス撃退にタカ 「情報は浸透する」?
犬猫は分かりませんが、カラスは確実に会話をしているシーンをよく見かけます。 明確な言語化は難しいかもしれませんが、田舎のおじいちゃんくらいの話はできるのではないでしょうか。 お前、あそこの、ほれ、向こうのあれで、あいつが呼んどったぞ、くらいは。 |
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