the shadow of silver
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10月3日(火)
[今日の独言(ひとこと)] 【やがて世界は巻物に戻る】
タブレットに慣れきった幼児に紙の絵本を与えたら、絵に指を置いてなぞるようにスワイプしていた。
という冗談みたいな話もあるが、今時の子供はそれほど紙の本よりデジタル画面のほうが主流となっている。
週刊少年ジャンプの発行部数は全盛期の1/3以下にまで落ち込んでいるが、それは漫画がつまらなくなったからではなく、書店へ足を運ぶことなくWEB版など、それ以外の方法で楽しむようになったからだ。

紙の書籍とデジタル書籍との大きな違いはページの概念だ。
スマホやタブレットで読むにはページをめくることなくスワイプさせる。
電子書籍ではわざわざページがペラリとめくれるアクションも付いているが、あれも紙の書籍がなくなると意図を理解できない人々が増えると思う。
「動画の巻き戻しって、何を巻いているの?」と同じように、「電子書籍って左下から何を剥がしているの?」と思われるようになりそうだ。

そもそも書籍というか紙を綴る本の概念がいつ生まれたかというと、紀元前かいつかの時代の羊皮紙にまで遡る。
それ以前に作られていたエジプトのパピルスは巻物として使われていた。
一方で羊皮紙は丈夫で両面に書くことができたので、一枚の紙を束ねて綴じた書籍として使われるようになった。
とはいえ両者は移行したのではなく、地域や使われ方で巻物も綴じ本も併用されていた。
そして15世紀にグーテンベルクか誰かが活版印刷を発展させたことで、綴じ本が主流となった。

そして現代、デジタル書籍にページの概念はなくなり、その形態と使用は巻物によく似ている。
スクロールとはそのまま「巻物」という意味だ。
これにはエジプトの書記神・トートも、中国の書聖・王羲之も驚きだろう。
お陰で分量はページ数ではなく文字数で把握されるようにもなっている。
まさに千言万語の復活だ。

そう考えると、デジタル書籍の数え方も『冊』ではなく『巻』と読むべきかもしれない。
いや『巻』というのも何を巻いているの? という話になるから、やっぱり『作』がふさわしいか。
そういえば、同じ作品の続き物を2巻3巻と呼ぶのはなぜだろう。
それと漫画の単話タイトルで『○○の巻』と付けたのは誰だろう。
何も巻いていないのに、なぜ『巻』と呼んだのか、忍者ハットリくんが最初ではないと思うが。

[一日三報]
[INTERNET Watch] オンライン会議で相手からの信頼を得たい場合に「背景に置くべきモノ」は? 英大学の調査で判明

これは何もオンライン会議の発展によって生まれたスタイルではなく、ごく一般的に会社やテレビ番組の演出として使われているものだと思う。
テレビに出てくる専門家や大学教授は、いつも背景に大きな本棚を置いている。
これだけ勉強しているからエライのだというイメージを与えるためだろう。
それよりも、ノートパソコンに搭載されたWEBカメラを使うと、どうしても下から見上げた「下ぶくれ画角」になってしまう問題をなんとかすべきだと思う。

[ITmedia] 巨大キートップを頭にかぶる「帽子型キーボード」、Googleが公開 キーボードの“ボー”に着目

今日の悪ふざけ。
こういうネタは積極的に取り上げてもらわないと寂しくなるから大変だなと思う。
「塩が足りない」ネタを投入したところで、割とおじさんが頑張っているのが分かる。

[読売新聞] 「ぽたぽた焼」パッケージ、現代的おばあちゃんに世代交代…ヨシタケシンスケさんが描く

どの辺りが現代的なのか分からないが。
和服に割烹着のおばあちゃんなんてコスプレだと思うが、スラックスにカーディガンのアクティブおばあちゃんもイメージではないのかもしれない。
チャイナ坊やが変なラッパーになったベビースターラーメンのように、もうちょっとはっちゃけても良かったと思う。