the shadow of silver
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3月30日(火)
[今日の独言(ひとこと)]
江戸川乱歩は怪奇作家のエドガー・アラン・ポーの名前をもじって付けたことは有名だが、これは崇拝していたというよりは猟奇的な作品を扱うことに際して、当時の感覚から本名を用いることを憚られたからではないかと思う。
ちなみに本名は平井太郎という、今の感覚では平凡すぎてかえって偽名を疑いたくなる名前だ。

先日、回転ずしチェーンのスシローは、台湾にある店舗にて名前の中に「鮭魚」の文字がある人は無料で寿司が食べられるキャンペーンを実施した。
すると多くの人が名前を「鮭魚」に改名して訪れたという出来事があった。
台湾の法律では三度まで改名を認められているが、それはそれとして内務省も安易に改名しないように呼びかける事態となったそうだ。

興味深いのは彼の地における名前に対する感覚の違いだ。
スシローの日本店がそんなキャンペーンをやり出したら、恐らく誰も改名しないどころか、道徳的におかしいと言われてバッシングを受ける可能性もある。
もちろん台湾にもそんな人はいるだろうが、そんなキャンペーンを思いつく人、実際に行う会社、それに乗る客がいるところに、いくらか受け入れられる土壌があるようだ。

日本ではやけに本名至上主義のようなところがあるが、外国ではそこまで重要視しない文化が根付いている。
名前など単なる相手からの呼び名に過ぎず、改名、偽名も普通のことで、そこで疑われたり怪しまれたりすることもないようだ。
中国ではアリババの創業者はジャック・マー(馬雲)と名乗り、台湾ではホンハイの創業者もテリー・ゴウ(郭台銘)と名乗っている。
中国名は発音が難しいので英名を使うという理由らしいが、別に名前など何でも良いという感覚もあるからだろう。

同じ漢字圏の日本でそのような習慣が生まれなかったのは、厳重な戸籍制度に加えて、世界一とされる名字の多さにあるのかもしれない。
同姓同名の少ない本名は、唯一無二の国民番号のようなもので、安心と信頼の証として安易に変更すべきではないという意識が働くのだろう。
一方で、本名だから安心できるという謎の信頼感が働いて騙されることもあれば、偽名だから信用できないという変な理屈を持つ人も多い。
そしてネット上では偽名を使って放言しては、あっさりばれて本名を晒されている。
本名に信頼を置くあまり、偽名なら何をしても良いと勘違いするようだ。

「卑怯者!正々堂々と名を名乗れ!」という時代劇の印象もあるのかもしれない。
名乗るだけで正直者とは、なかなかちょろい社会ではないだろうか。
江田島平八である!

[一日三報]
[INTERNET Watch] 「ググった結果をクリック」はもう古い!? 3分の2のユーザーはそのまま離脱することが判明

ネットのお陰で知りたい情報が手早く簡単に得られるようになった反面、大して知る必要のない情報まで知りたくなる強迫観念が強まったような気がするわけで。
こうして打ち上げ花火ようなアフェリエイトサイトが検索上位を埋めて、話の又聞きで全部を理解した気になる人が増えていく気がする。

[読売新聞] AI加山雄三「応援にやってまいりました」…商業施設で市民に語りかけ

死んだのかと思ったら、生きているがそれはそれで作ったらしい。
しかしこれは、やりようによっては存命中の人の声を使って勝手に喋らせることもできるのではないだろうか。
こんばんは、総理ですけど、みんな死ね。(五・七・五)
声の著作権というのもあるのだろうか。

[NHK] 仏教経典学んだAI 悩みに答えるシステム開発 京大研究グループ

AIブッダ。
こういうのは、どういう立場の人が、どのような状況で、誰に向けて語ったかが重要なわけで、それがなければ使い古されて手垢の付いたライフハックになるだけかもしれない。



3月23日(火)
[今日の独言(ひとこと)]
『人は30歳を過ぎると新しい曲を聴かなくなる』は巷でよく聞く話だ。
音楽を仕事にしている人や熱心な愛好家ではない多くの一般人は、30歳辺りから新しいミュージシャンや音楽に興味が持てなくなって、ただ古い曲だけを繰り返し聴くようになるということだ。

また『14歳で聴いた音楽は一生忘れない』という話もある。
感性が一番鋭敏になっている思春期に得た音楽的刺激は、脳内に深く刻み込まれるということらしい。
また青春の思い出とともに残ることもあり、良くも悪くも忘れられない人生のBGMになってしまうようだ。

30歳で音楽趣味が固定化されてしまうのは、脳と感性の衰えという残酷な意見もあるが、どちらかというとそれ以外の物事、仕事や家庭などに忙しくなってしまうからのようにも思える。
所詮、音楽は娯楽でしかないので、忙しくなると真っ先に切り捨てざるを得ない。
そして短い休みが得られても、新しい音楽にチャレンジするよりは確実に楽しめる曲を選んでしまうことになるのだろう。

私自身の感覚で言うと、確かに30代辺りから新しい曲を聴かなくなった気がする。
ただ私の音楽趣味はちょっと世間とずれているようで、昔からずっと古い洋楽ばかりを聴いており、おまけに青春時代の影響か何かは知らないが、邦楽には全く馴染めない耳になってしまった。
そのため、いつの年代でも今時の曲には付いていけなかったが、それでも新たな音楽を探そうという気力は減ったように感じている。
なんというか、もう音楽は聴くべき曲が決まったような気もしているのだ。

何が言いたいかというと、これは音楽だけに限らず、小説に関しても同じことが言えるのではないだろうか。
私は愛好家であり、また仕事にしていることもあるので、他の人よりは新旧交えて割とまんべんなく読書しているほうかもしれない。
しかし同年代の他の人にとっては特定の著者、特定のジャンルのみを求めて、新しい作品を探そうという気力も減ってしまうように思えたのだ。

さらに言うと、若い頃に読書そのものを趣味にしたことがない人は、もう一生小説に触れることもなくなってしまうかもしれない。
評論やノウハウ本はまだしも、小説を楽しむという娯楽を新たに始めることは、ギターや社交ダンスくらいのチャレンジになってしまうような気がした。
いや、盆栽や帆船模型に近いだろうか、少なくとも映画やゲームよりはハードルが高いように思えるのだ。

とうことで、いつか読もうと思っている小説があるならば、今読んでおかないと一生読まなくなるかもしれないから気をつけてほしい。
小説なんていつでも読めると思っていたら大間違いなのだ。

[一日三報]
[北日本新聞社] 「水面から人間の脚が」と119番 高岡、パトカーや救急車が急行すると…

今日の犬神家。
そういえば、よくアレを「スケキヨ」と呼ぶ人がいるが、ぶっちゃけ佐清じゃないよね。
あとあのマスクマンもぶっちゃけ……
それはともかく、オリジナルを発信している新聞社のサイト記事が会員限定なのに、ヤフーニュースだと普通に読めるというのはどういう判断なのだろうか。

[CNN] 月に「ノアの箱舟」建設を、地球滅亡に備えて670万種の生命を保管

地球は滅亡したけど種やDNAがあるから大丈夫。
藤子・F・不二雄のSF短編にそんな話があったような。
これは人類の贖罪によるものか、それとも死滅への恐怖によるものか。
月も大分、踏み荒らされてきました。

[ロイター] ミャンマー、民間紙が全て休刊 ネットも遮断で情報入手困難に

命綱といえば昔は水と塩だったかもしれないが、今は情報と通信機器になっているのかもしれない。
僕らが心の拠り所にしている情報通信機器なんて、政府が壊れたら簡単に奪われるわけだ。
その時、僕らは何を頼りに生きていけばいいのか、今の内に生きる術を考えておくべきかもしれない。
切符の買い方とか、友達を増やしておくとか。



3月16日(火)
[今日の独言(ひとこと)]
新作小説のタイトルについてあれこれと悩んでいる。
うまい言葉が見つかりそうで見つからず、どうしたものかなと思っている。

小説の著者にとって、かどうかは分からないが、私にとって小説のタイトルというのは実のところそこまで重要とは考えていなかった。
重要なのは中身の300ページ500ページの内容なので、タイトルなどはその入口に過ぎず、また内容を一言で表せというのも無理な話だと考えていた。
なので、もちろんこだわりはあるが、そこまで深く考えることもなく、それっぽい言葉が見つかればそれでいいくらいに思っていた。

しかし読者にとってみれば、そのタイトルこそが本の入口であり、そこでピンと来なければ手に取ってもらえないのは事実だ。
手に取ってもらえなければ、せっかくの中身も読んでもらえない。
内容の善し悪しも読んでもらえなければ始まらない。
そんな当たり前のことを今さらながら考えるようになってきた。

小説のタイトルは一昔前よりも限りなく重要度が増している。
それはこのIT時代において、本に関する情報の伝播方法が大きく変化したことが理由となっているだろう。
かつて書籍というのはタイトルだけのシンプルな物が主流だった。
表紙も無地か花の一つでもあしらった程度の、今でいう文学色の強いものが多かった。
それがより内容を目立たせるためにサブタイトルを付け、カバー絵を派手にして、下に腰巻きという帯を付けてさらに語り、裏にはあらすじも付けるようになった。
そこまで親切に語らなければ目立たなくなったからだ。

しかしIT時代が到来して、書店だけでなくネットで本を購入したり電子書籍で読むようになると、不特定多数の人の目に触れるのはかえってタイトルだけになってしまった。
たとえばSNSで紹介するにしてもタイトルで語るしかなく、書影を出したとしてもスマホ上では小さな本の写真を見せるくらいしかなくなかった。
興味を持った人はそこから一タップ、二タップして紹介された本の内容を調べるだろうが、その一タップを押させることは想像以上に難しい。
大抵はタイムラインで流し読まれて終わるだろう。
つまりタイトルこそが小説において最も重要な要素とされる時代となっているのだ。

その傾向が顕著なのが、近年のライトノベルのタイトルにある。
『異世界に転生した俺が持ち前のゲームスキルを使って魔王を倒して美少女ハーレムを築いたがクーデターを起こされた件』(仮)などという長文タイトルが多いのは、そこまでタイトルで示さないと誰の目にも留まらないからだ。
私にとってはびっくりするほどピンと来ないタイトルだが、そういう読者はお呼びではないのでスルーしてもらって良いはずだ。
これが『栄枯盛衰』とか『ある男の英雄譚』などというタイトルだったら、多分ターゲットの読者からも興味を持たれないだろう。
そして、ライトノベル読者は若くネットで本を読む習慣に慣れた人も多いので、腰巻きや裏のあらすじで詳しく語ったところで目につかない。
結局、タイトルとカバー絵だけの勝負となってしまうのだ。

というわけで、一般小説においてもよりタイトルにこだわる必要はあると思っている。
本文の内容が全く分からないふわっとしたフレーズや、漢字二文字でドドンと重厚感を出すタイトルは、村上春樹や大沢在昌クラスでないと難しい。
彼らは著者名で検索されるのでどんなタイトルでも通用する。
無名の著者が知らない人の目を引くには、やはりタイトルで勝負するしかないだろう。

というわけで、私が悩んで付けたタイトルの本が世に出るかどうかは分からないが、このことは自らの肝に銘じておきたいと思っている。
でも、それってなかなか難しいよね。

[一日三報]
[ロイター] 「複製不能」時代のデジタル芸術、10秒の作品が7億円に

複製可能なデジタル時代においての新たな試みか。
とはいえ、こういった投機目的の素材を芸術と呼ぶことには常に違和感を覚えるもので。
少なくとも絵に対する純粋な評価ではなく、売り出し方の発想による評価でしかないわけで。
芸術、アートとはまた別の名前を付けたほうがいいんじゃないかと思ったり。
ニュー先物とか。

[CNN] 北朝鮮難民の女性、70年ぶりに祖国「訪問」 VR技術が後押し

VR墓参り。
などと気軽に言ってはいけないものもありますが。
しかしこれをまやかしと呼ぶならば、世の一切もまやかしと言えるわけで。
墓石や神棚に祖先や神を見るのも、ヘッドマウントディスプレイに故郷を見るのも、心の癒しを得る手段としては同じものかもしれません。
人はそのうち自らが望む時代と世界で生きるようになるのかも。

[Gigazine] 2100年までに「1年の半分が夏になる」という予測

エヴァンゲリオンの世界が常に夏なのは、セカンドインパクトで地軸がずれたせいだったか。
夏の風景、水没都市というのはイラストや映像では眩しくて美しいものだけど、実際にそうなると、多分ひたすら暑い上に一面泥水だらけで雑菌と疫病のパラダイスになるだろうから、あまりおすすめできない。
SDGsだか何だか知らないけど、新しい言葉を決める暇があったら、さっさと何とかしたほうがいいと思う。



3月9日(火)
[今日の独言(ひとこと)]
先日、ワクチン接種のために近所の病院へ行ってきた。
医療従事者でもなければ高齢者でもなく、特定疾患もない穀潰しストのお前になぜワクチンが提供されるのだと思われそうだが、役所からクーポン券が届いたので行ってきた。
ちなみに新型コロナウィルスのワクチンではなく、風疹のワクチンの話だ。

厚生労働省では数年前より昭和37年度~昭和53年度生まれの男性を対象に、風疹の抗体検査と予防接種を薦める追加対策を始めている。
これはその年代が小児の時に予防接種の義務化がなかったので抗体を持っていない人が多く、発症する危険性が高いという結果が出ているからだ。
私は昭和52年生まれなのでこの対象にバッチリ入っているのでクーポン券が送られてきたのだ。
なおこの年代以前と以降には予防接種が義務化されているので、覚えがなくても受けているらしい。
またこの年代でも女性なら中学生の時に予防接種があったそうだ。

ちなみに風疹は大人が罹っても大半は軽微な症状で終わる場合が多い。
ただし妊婦が感染すると胎児にも感染する場合があり、重症化することもあるそうだ。(先天性風疹)
私は別に妊娠する気もさせる気もないが、それこそ新型コロナウィルスと同様に、どこかで妊婦さんに感染させてしまう可能性がないとも言えない。
それで、せっかくタダ券が送られてきたこともあって受けることにした。
一番の理由はやってみたかったというだけだが。

ということで、病院ではまず採血による抗体検査を受けてから、抗体が少なければ予防接種を受けるという流れになった。
ところが残念なことに、残念ではないが、私は既に充分な量の抗体を持っているので接種の必要はないとのことだった。
結果はEIA価において26.0(+)、6.0未満が接種の対象らしい。
ワクチンに詳しくないので、これが個数なのかパーセンテージなのか戦闘力なのかは知らないが、とにかく私は知らずとアビリティに「ふうしんむこう」が備わっていたそうだ。

幼少期に親が義務とは別に受けさせたのか、特殊能力として初めから備わっていたのかは分からない。
ただ、新型コロナウィルスについてはこういった可能性は一切なく、人類史上誰一人として抗体を持っている人がいないからこそ、ここまでの拡大と重症化が進んでしまうのだろう。
しっかりとしたワクチンが開発されて予防接種が広まればインフルエンザのような流行性感冒に落ち着くとも言われている。
それまでは感染しないように気をつけるしかないだろう。

風疹ワクチンについても私と同じ対象の方は受けておいたほうがいいと思う。
国からタダでもいいから受けてくれと言ってくることもあまりないので、多分本当に有効なのだろう。
戦闘力26の私には不要だったが。

[一日三報]
[CNN] Amazonアプリの新アイコンはまるであの人? 好ましくない連想でデザイン変更

全くそうには見えないが、そう見える人もいるらしい。
卍のマークにせよ、格好いい軍服にせよ、あの七三チョビ髭がもたらした風評被害は今も大きい。
彼が生きていたら思ったことだろう、やっぱり国民は操りやすいと。

[Gigazine] 治安を悪化させるとして「すべての暴力的なゲーム」を禁止する法案が提出される

アフガニスタンやリビアやミャンマーの人はそんなにゲームもしていないと思うわけだが。
こういう法案や条例って出ると話題になるが、その後どうなったかという報告は見たことがない。
多分、全てのゲームとテレビとネットと演劇と文学と音楽と漫画その他の娯楽を一切排除して、キリスト教か仏教の教えを徹底しないと意味ないのでは。
そうしたら、みんな羊のように大人しくなってくれると思う。

[読売新聞] ネコ親子の顔をシンプルに、足・耳もスッキリ…「クロネコマーク」初の変更へ

立体表現をなくしてシンプルを目指す傾向のよう。
このままいくと100年後には、黄色い楕円に黒い横棒を引いただけのデザインになると思う。



3月2日(火)
[今日の独言(ひとこと)]
近頃は道を歩いていると、誰かが落とすか捨てるかしたマスクを多く見かけるようになった。
こういう物は以前なら軍手や靴下の役割だったが、やはり路上は社会を映す鏡というわけか、今のポイ捨てトレンドは圧倒的にマスクが占めているようだ。
赤瀬川源平も存命なら大いに興味を持ったことだろう。

去年の春、ちょうど世間がマスク不足に喘いでいた頃に、某有名薬局店マツキヨを騙って『マスクを無料送付ます』(原文ママ)というメールが届いた。
明らかに詐欺商売だったが、面白かったのでツイッターに投稿したら、某テレビ局の有名ニュース番組のスタッフからネタを使わせて欲しいというアポイントがあった。
面白かったので、メールとそこからリンクされていたマスク販売サイト(高額)の画像を送ったら、どうやら本当にニュース番組で取り上げたらしい。
品薄・高騰化するマスク情勢を伝えるためにちょうど良いネタだったのだろう。
ちなみにその時の紹介は『ある男性の下に届いたメール』で、私のことは全く紹介してもらえなかった。
たった一回、数秒のシーンだったが、もしピンとくる人がいたら、実はアレ、私のネタだったのだ。
ちなみに某巨大掲示板の実況スレでは「迷惑メールのリンク先に飛ぶバカがいるんだ」と書き込まれていた。
某所もつまらない人が増えたものだ。

マスクを着けて活動することは、眼鏡が曇りやすいこと以外には特に不便とは感じていない。
ただ、マスクを着け忘れたために町で妙な恥ずかしさというか、世間知らずというか、いい加減、危機管理のなさ、風紀違反、犯罪者のように自分で意識してしまうようになったのは煩わしく思っている。
別に誰かに叱られたり通報されたりはしていないが、世間様に申し訳ないというか、悪いことをしている気になってドキドキしてしまう。
この感覚は、あるいは『わいせつ物陳列罪』に近いものかもしれない。
まさに人間だけが持つ罪の意識、知恵のリンゴを食べたアダムとイブが最初に抱いた羞恥心と犯罪意識。
私たちはそれを今、現在進行形で再び体験しているのではないかと思った。

もう少し分かりやすく言うと、口唇フェチズムが増えるのではないかと思った。

[一日三報]
[西日本新聞] 岩の奧から犬の声」…警察出動、声の主は

今日のほのぼのニュース。
いきなり登場した謎の50代男性が気になる。
これ、本当に犬が助けを求めていたとしたら、どうするんだろう。

[ナショジオ] ココナツを収穫させる「サルの強制労働」の残酷な実態、タイ

割とウィンウィンな関係の気もするが、さて。
サルを収穫に使役することが強制労働と言うなら、ミツバチやカイコは奴隷以下の過酷な状況にあると思うのだが。
みんな割と虫は使い捨てるよね。

[Record China] ウルトラマンカード盗んだ26歳男に警官「こんな物盗む年齢か?」、ネット「好きに年齢は関係ない」―中国

ただの趣味か、転売目的か。
興味深いのは中国でもリアルとオタクの言い争いが起きているということ。
むしろ急速に時代が変わってしまったせいで、日本よりも理解に乏しい頑固親父が多いのかもしれない。