the shadow of silver
SOS日記本メルマガ掲示板プロフィール

archive


3月28日(火)
[今日の独言(ひとこと)] 【キトラ古墳とベートーベン】
先日、奈良県飛鳥村のキトラ古墳では、泥に覆われた壁の中から十二支の「巳」と見られる像を含む3つの壁画が新たに発見された。
巳の像は衣装をまとった人の体にヘビの頭を付けたもので「獣頭人身十二支像」と呼ばれている。
他の2つは位置関係からそれぞれ「辰」「申」ではないかと推測されているそうだ。

キトラ古墳は7世紀末から8世紀頃の飛鳥時代の古墳で、石室の内部に描かれていた「朱雀」「青龍」「白虎」「玄武」の四神や天文図などの壁画は国宝に指定されている。
被葬者は不明だが天武天皇の皇子や側近、あるいは同じような壁画が残っている百済の王族ではないかと言われている。
誰の物か分からない理由は、石室内部では長年にわたって雨水の浸水と乾燥が繰り返されていたため棺も中身も粉々に砕けて泥の層になってしまっていたからだ。
雨が多く高温多湿の日本では遺体や遺骨の保存は難しく、なかなか後世には残されない。
奥州藤原氏のミイラなどは本当に貴重な存在といえるだろう。

一方海外では先日、ドイツなどの国際チームが作曲家ベートーベンの髪の毛から全遺伝情報が解読できたと発表した。
チームはベートーベンの知人らの手に渡っていた毛髪を、古代人の検証にも使われるDNA分析にかけて解読を試みた。
それにより肝臓病のリスクを高める遺伝子変異やB型肝炎ウイルス感染の形跡が見つかり、晩年の体調の記録や大酒飲みだったという証言から肝硬変が死亡に繋がったものと推定された。

毛髪や手記が残されている有名人なのでこのような調査が行われたわけだが、果たして私らはベートーベンの死因にそこまで興味があっただろうか。
しかし科学の発展のために、あるいは学者の好奇心や話題作りのために利用されてしまう。
そう考えると、あまり後世に身体を残すのも考えものではないだろうか。
未来の人による古代の研究など、現代の私たちには知ったことではない。
結局、火葬にするのが後腐れのない優秀な処理方法ではないかと思う。

[一日三報]
[Gigazine] その曲が好みかどうかは「5秒間」聴けば分かる、人は曲の「音」ではなく「雰囲気」に反応することが実験で判明

例えば映画ならワンシーン、小説なら一節、漫画なら一コマと置き換えられるかもしれない。
創作者としては全部聴いてくれ、観てくれ、読んでくれと言いたいところだろうが、結局はワンショットの好き嫌いがあってこその全体への評価となるのだろう。
でも一番気になるのは、なぜ人によってこれほどまで好みに差が出るのかというところだ。
それがトレンドというのかもしれないが。

[AFP] 羊の頭のミイラ2000個発見 ラムセス2世への供物 エジプト

偉大なる王への供物。
興味深いのは死後1000年経ったのちの奉納と見られること。
権力者は千年続く王国を目指すが、大体は長くとも数百年で潰えてしまう。
しかし古代には確かに千年王国が存在したのだろう。
ところで羊の体2000体は国民に振る舞われたのだろうか。

[読売新聞] クローゼットから出てきた上司が鏡に映る…「数十回侵入」女性宅で下着盗んだ疑い

江戸川乱歩的なホラー展開。
笑える事態ではないが、合鍵を作っていた上司というストーリー展開もドラマチック。
どういう経緯でそうなったのか、これからどうなるのか。
それぞれの心境が気になるが、たぶんこういう事件はもう続報はない。



3月21日(火)
[今日の独言(ひとこと)] 【古来、マスクとは『かける』物だった】
先日13日より新型コロナウイルスの感染対策のため行われていたマスクの着用が個人の判断に委ねられることになった。
脱マスク、マスク自由化、大本営発表、マスクの有無すら決めてもらわないと動けない国民、と意見もさまざまだが、社会を形成する上でルールを明確にすることは重要で、そこで活動する者たちは従う必要があると思う。
誰も言わなければ寿司店でテーブルの上の醤油差しに口を付ける者もいるので、やっぱりマスクを着けろだの、外しても構わないだの逐一発表したほうがいいだろう。

ところで、ここ数年来のドタバタで起きたマスクブームにより、世の中の人もこの鼻と口を覆う布の存在への知識も深めたと思う。
マスクの歴史は明治初期まで遡り、当初は粉塵除けに使われていたという。
それが産業の発展とともに工場内で作業する労働者にも用いられるようになった。
医療用マスクとして決定的となったのは1918年に発生したインフルエンザ、通称スペイン風邪の大流行により世間でも着用が進んだ。
以降インフルエンザの流行とともに普及していったようだ。
スペイン風邪の流行時に作成されたポスターには『恐るべし「ハヤリカゼ」の「バイキン」! マスクをかけぬ命知らず!』の文言もある。
現代の標語からは考えられないほどの語呂の悪さだが、それはそれとして、マスクの着用が重要視されていたことが分かるだろう。

それはともかく、この標語には気になる言葉がある。
『マスクをかけぬ命知らず!』と『マスク』に対して『かける』という動詞が使われていることだ。
今の私たちは『マスク』に対しては『つける』という動詞を付けている。
『つける』は『着ける』であり、『着用」や『装着』という意味が含まれているからだ。
あるいは『付ける』と書いても間違いではない。
しかし『かける』と言う人、書く人はまずいない。
『かける』は『掛ける』『懸ける』と書き、引っ掛けるやぶら下げるという意味がある。
それでは何となくマスクの着用感とはそぐわないからだろう。

それではどうして昔は、マスクが普及したころは『かける』と言われていたのだろう。
そこで気づいたのは、マスクそのものの意味だ。
元々マスクとは鼻や口を覆うだけの物ではなく、顔全体を覆う仮面に対して使われる言葉だった。
『マスカレード』で知られる中世後期の仮面舞踏会で紳士淑女が顔を隠すために付けていた物がマスクだ。
あるいは古代に祈祷師が付けていた仮面などもマスクという。
よって今私たちが付けているマスクは医療用マスクとも呼ばれている。
仮装用マスクではないからだ。

そんな呼び名を持って日本にやってきたマスクだが、この使用方法を伝えるためには動詞が必要になる。
先の通り直接の意味は仮面となるが、日本において仮面といえば能面のことだろう。
そして能面は伝統的に『かける』という動詞が使われているのだ。
演者が能面を着けることを『面(おもて)をかける』という。
だから英語で仮面の意味を持つマスクに対しても『かける』とするのが自然だったのだろう。

ということで、大正時代の人が『マスクをかけぬ命知らず!』としたのも当然で、恐らく世間の人々にも意味がよく伝わったはずだ。
それがいつから『着ける』ようになったのかは、調べきれていないので分からないが、やはり今の感覚では『かける』という印象はないだろう。
こんな具合に、たった百年で日本語もどんどんと移り変わっていく。
マスクとの付き合い方も次第と変わっていくのだろう。

[一日三報]
[ITmedia] 10代の4割が「マスクを付けなくてよい状況でも着用したい」

今日のマスク。
私はもうオジサンなのでマスクを着けようと外そうと放っとけやと言えるが、10代の方々はどうしても社会や周囲の影響を受けざるを得ない面もあるわけで、三年も経つともはや習慣化してしまったことだろう。
そして10代で身に付いた習慣は歳を取っても覆しにくい常識となってしまうわけで。
今後何十年経っても、不自然だろうと無意味だろうと、外出時にはマスク着用が当たり前の時代が来るんじゃないかと思っている。
貴族の烏帽子、紳士のステッキ、婦人のお歯黒、テーブルマナー、常識は科学的根拠とは別問題なのだ。

[CNN] 香港女性モデルのバラバラ殺人、 よみがえる過去の記憶

興味深い研究。
香港あるいは上海といえば残忍な殺人事件が目立つが、その背景にはこういった事情もあるのだろう。
アメリカの映画『ファーゴ』のように、どのご家庭にもある木材粉砕機を使って庭で死体を処理するわけにもいかない。
ミステリ作品にもお国柄が現れる。

[Gigazine] 火山灰に埋もれた古代ローマの巻物を解読したら3000万円がゲットできる「ヴェスヴィオ・チャレンジ」

今日のガチチャレンジ。
こんなマンモスのフンの化石と紹介されたら信じてしまいそうな物をどう扱えばいいのか。
なんで丸めちゃったのか、なんでガチガチに縛っちゃったのか。
でも昔の人はこれが最良の記憶媒体と思っていたのだろう。
私たちの記録の未来人が見つけたら「なんで電子媒体な使ったんだよ馬鹿だなあ」と言われるのかも。




3月14日(火)
[今日の独言(ひとこと)] 【空耳アワーの妙と罠】
毎週金曜日にテレビ朝日系で放映されていた、毎度おなじみ流浪の番組『タモリ倶楽部』が3月末をもって40年の歴史に幕を閉じることになった。
ゆるい番組をコンセプトに、世間の話題とタモリの趣味に合わせたサブカル風味の強いいい加減なネタが魅力的だった。

同番組の中で外せないのが「ゆるいサブカル」を体現するものとして人気のコーナーとなった「空耳アワー」だろう。
個人的に「控え目なみうらじゅん」と呼んでいる安斎肇が「ソラミミスト」と称して、洋楽の中で日本語っぽい歌詞を探して笑う。
毎回やや強引なネタを秀逸な映像で補完して完成度を高めていた。
アーティストが真面目に作った曲を小馬鹿にしているふしもあるが、嫌悪を感じないのはタモリと安斎肇の両氏の音楽に対する造詣が深く、限りなくリスペクトしていることがベースにあるからだろう。
これはサブカルやマニアックなネタ、あるいは多趣味に分かれた現代カルチャーのすべてに言えることだと思う。
興味もない癖に浅い知識で批判だけしている人はどこでも嫌われるものだ。

「空耳アワー」が面白いのは、そう聞こえないはずの空耳がなぜ聞こえてしまうことにある。
それは空耳を誘導させる映像とともに字幕テロップを付けることで目が引き付けられて、脳が勝手に判断してしまうことにあるだろう。
人間の脳は五感から得られる情報を総合的に判断して、目の前の事象を正しく認識している。
そして聴覚情報よりも視覚情報を優先させる癖もある。
ザルの中で小豆を揺らしても、海の映像が流れていれば波の音に聞こえてしまう。
「空耳アワー」は実は高度なトリックを用いて作られているのだ。

そういえば、同じように判断を誤るケースとして、私の場合はカーナビや地図アプリの誤案内がある。
地図で見るとAルートが正しいと思っていても、デジタル機器からBルートを薦められると自分の判断よりも優先させてしまうのだ。
特にカーナビの場合は見知らぬ土地の上に早急な判断を迫られるケースが多いので、機械音声で堂々と『右です』と指示されると抗うのが難しい。
それで結局見当違いのルートを進む羽目となり、自分で思ったルートのほうが正しかったじゃないかと失敗することも少なくないのだ。

この『間違えない(はずの)機械による断言』は『間違えない(はずの)偉い人による断言』にも通じるものがあり、政治家や宗教家や評論家やコメンテーターやインフルエンサーが無知な人々を操る手段としてもよく使われている。
断言は強い、疑いを持って生きよと言われても、自ら知識を求めようとしなければよく知っている(はずの)意見に身を任せたほうが楽だ。
時にはそれによって詐欺に遭ったり、思想を偏らされたりする人もいるので、なかなか厄介な問題でもあるだろう。
と、『空耳アワー』の終了から思った。

[一日三報]
[ITmedia] ARコンタクトレンズを3Dプリンタで作成 運転中の道案内で性能実証 韓国の研究者らが開発

寺沢武一の漫画『ゴクウ』の主人公は左目に世界のあらゆるコンピューターをハッキングできる眼球『神の目』を持った主人公が活躍していた。
振り返ってみても、近未来すなわち現代を予見した凄い設定だったと思う。
道案内コンタクトレンズは便利そうにも思えるけど、こんなものが常備化されてしまうと、さらに誤案内・誤誘導の招くことになるというか、何も考えられなくなりそうでちょっと怖い。

[ロイター] プロレス=WWE、「筋書きあり」の試合で賭け合法化模索─報道

WWEといえばブック(脚本)ありきのエンターテイメント・プロレスが魅力なわけで、そこにおいて勝ち負けのギャンブルは果たして成立するのだろうかと疑問。
胴元の意図を察して人気レスラーに賭けるか、サプライズを見越して大穴を狙うか。
新たな楽しみ方の提案にもなりそうだが、まあカネ集め感が強い。

[共同通信] ごみから1千万円「私かも」続々 札幌の処理施設で、相談13件

今日のハイエナ。
どう考えてもそんなに多くの人が同じ時期に誤って現金をゴミとして捨ててしまったとは思えないわけで。
うまく誤魔化せればもらえるかも、という算段でもあるのだろうか。
それとも案外と成功するデータでもあるのだろうか。
よし、仕掛けてやろうと思い至るまでの心理的経緯が気になる。
そして多分お前のじゃない。



3月7日(火)
[今日の独言(ひとこと)] 【懐かしの謎の百科事典の謎】
先日、エジプトにある世界最大のピラミッド、クフ王のピラミッドの内部にこれまで知られていなかった空間の存在が明らかになった。
調査方法は宇宙から降り注ぐ素粒子の量から物質の質量を計測したというからダイナミックな話だ。
あれほど大きくて皆に注目されている遺物だから、内部構造などとっくに全部解明されているものだと思っていたが、意外にもほとんどが未だ謎に包まれているらしい。
なお新たな発見は1837年の大調査以来、186年ぶりだという。
1837年といえば日本は天保8年、大塩平八郎が乱を起こしたり、いまいち地味な徳川家慶が十二代将軍に就いたあたりだ。

21世紀に入っても未だに古代のロマンと名声を誇り続けているエジプトのピラミッド。
そういえば私はいつどこでこの存在を知ったのだろうと気になった。
学校で詳しく習うものではないし、テレビで詳しく紹介された記憶もない。
テレビゲームの「ゼビウス」かと思ったが、あれはナスカの地上絵だった。
そうしてあれこれ振り返っている内に思い出した。
家にあった「謎の百科事典」だった。

「謎の百科事典」は文庫本くらいのサイズで赤い立派な表紙の付いた本だった。
その名の通り世界の謎が項目ごとに紹介されていて、子供にも分かりやすい内容だったと記憶している。
インターネットで調べてみると、どうやら全国的に愛好者というか懐かしの本として覚えている人も多いらしい。
発行は昭和50年代の複数年に渡っており、出版社は児童憲章愛の会というところだ。
文部省が設立した機関で、各地の児童館、児童図書館、児童映画館等の児童文化施設の設置・奨励を行っているそうだ。

「謎の百科事典」にはピラミッドの話だけでなく、ファラオの呪いやポンペイの遺跡、ムー大陸、アトランティス、バベルの塔、ノアの方舟、雪男、ネス湖の怪獣などワクワクするタイトルが並んでいる。
狂犬病という恐ろしい病気の存在を知ったのもここからだった。
私の創作活動の原点、は言い過ぎだが、好奇心と変な物好きの発露となったことは間違いない。
お陰でエジプトもピラミッドも実際に見たことはないが、吉村作治なみに親しみを持っている。
あまり期待はしていないが、今回発見された空間からまたワクワクする新発見があれば良いなと思っている。

それにしても、どうしてそんな本が我が家にあったのだろう。
読書の力を改めて感じた次第だ。

[一日三報]
[東京新聞] 投票をネットで済ませる日は来るのか? 茨城・つくば市が24年地方選で導入目指す 待ち受ける多くの課題

以前からさっさとネット化すればいいと思っていたが、現実的に考えるとやっぱりまだまだ難しいなという気もしている。
法律のことは知らないが、やはりセキュリティ面での不安が大きい。
大規模で不正を働かれる可能性もあるし、失敗したのでやり直しというわけにもいかない。
匿名性の面でも大きな問題がある。
どうしたって、誰が誰に投票したのか知られてしまう。
他人に、ではなく、国や政府にだ。
実はそれが一番危ない話だと思う。

[共同通信] 「幼い頃から人を殺したかった」 切り付け容疑の少年が供述、埼玉

やっぱり銃が手に入りにくい社会というのは正解だと思う。
たぶん某国ならもっと大きな被害が出ただろう。
犯人は「無差別殺人に興味があった」「人を殺したらどうなるか、見てみたかった」と供述しているが、まあぶっちゃけ、高校生ならごく普通の感覚だと私は思っている。
現実はドラマやミステリ小説のように分かりやすく動機を示してはくれない。
結構、環境面や時系列での出来事が大きいものだと思っている。

[山陽新聞] 欧米TikTok排除拡大 中国へ情報流出懸念

割と以前から言われていたことが徐々に広まりつつある感じ。
情報が取れるなら情報を入れることも可能なわけで、邪魔と思えばアリババすらも潰そうとする、かの国かの党が放っておくわけもないだろう。
別に必要というわけでもないのに止められなくなる依存性も麻薬に似て恐ろしい。
今はまだお遊戯ダンスとウェイな迷惑動画で盛り上がっているが、そのうちデジタル阿片戦争が起きるんじゃないかと思っている。