the shadow of silver
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8月28日(火)
[本日の独言(ひとこと)]
鼻が高かったり低かったりで歴史が変わったり変わらなかったりしたことで有名な古代エジプトの女王クレオパトラ(紀元前50年頃)は、実は三大ピラミッドやスフィンクスが作られた時代(紀元前2500年頃)よりも、私たちが生きている現代(紀元2018年)のほうが近い。君たち2500年間も何をやっていたのかと思うがそういうものだ。縄文時代も1万年近く続いていたというから、むしろ現代のほうが色々と加速しすぎているのかもしれない。

今年の夏は酷暑や台風の襲来など異常な気象が続いているが、欧州でも猛烈な暑さが続いており、ノルウェーやフィンランドの北極圏でも夜間の気温が25度を下回らない「熱帯夜」に見舞われた日があったたしい。お陰で芝生が枯れたり川の水位も下がったりしたが、それによってこれまで木々に隠されていた遺構や遺物が多数発見される事態も起きたそうだ。考古学というのはかつては好古と呼ばれていたように、無価値で物好きな趣味とされていた。現代が安定していなければ過去を振り返る気も起きないもので、実は先端技術や宇宙開発など未来を見据える学問と真逆ながら同じ方向性にあると思う。まだ見つかっていない過去の物もまだ多数隠されていることだろう。

中米のジャングルに隠れたマヤ文明の遺跡が、近代のレーザー技術によって新たに発見されたというニュースがあった。空中から森や山に向かって特殊なレーザーを照射させて、その光(パルス)が戻って来るまでの時間を測定しマッピングすることで発見に至った。言うまでもなくこれは宇宙観測にも用いられている技術で、遠い星々の地表がどうなっているかなどを探る方法と同じだろう。宇宙はあまりに遠いので精度も不確かで、そのせいで火星に顔があったり金星に都市があったりするのだが、地球上ならもっと正確に読み取れるようだ。

君の脳は全体の10%しか使われておらず、残りの90%はまだ眠ったままなのだ! という話を昔よく聞いたが、実は当時は脳の解析がまだ進んでいなかっただけで、よく調べてみたら充分に活用されているということが分かった。同じように地球はもはや隅から隅まで調べ尽くされたというのも誤りで、まだまだ多くの謎が隠されていることが最新の研究で明らかになることもあるだろう。昆虫の世界でも毎年のように新種が発見されており、蝶に「ドナルド・トランプ」とか水生昆虫に「レオナルド・ディカプリオ」とな名付けられている(なおディカプリオは環境保護活動に取り組んでいる)。これからも色んな発見があることだろう。そして2500年後の人間が遺跡となった現代を見てどう思うだろう。やっぱり君たち何をやっていたんだと言うかもしれない。

[一日三報]
[毎日新聞] ブラジル アマゾン奥地に先住民 ドローン映像公開

案外と、我々は地球人のことも知り尽くしていないようで。
「文明社会と接触していない先住民」という表現には、ちょっと違和感を抱いたり。
文明とは何か。

[AFP] 娘の名は「アジア大会」、インドネシアのスポーツ好き夫婦が驚きの命名

でも「アビダー・アジアンゲームズ」と書くと、あれ、ちょっと格好いいなと思ったり。
日本でも「山田東京五輪」とか名付けられる子が出てくるかもしれません。
ちなみに歌手の五輪真弓は長崎県の五輪(ごりん)村にルーツを持つ本名だとか。

[ロイター] 米スイマーがジュネーブ湖でマラソンスイミング、世界記録に挑戦

変な意味ではなく豊満なご体形に興味。
水泳選手といえばバキバキマッチョな逆三角形の体で知られているが、遠泳を目指すとクジラやイルカのような体形になるのも当然かもしれない。
流線形で水の抵抗を減らし、脂肪を溜め込むことで浮力を増やして、エネルギーを保つ、理想的な形なのだろう。
ちなみに顔や手足が真っ白なのは日焼け止めかと思われ。



8月21日(火)
[本日の独言(ひとこと)]


お盆休みに忍者で有名な三重県の伊賀市へ行ってきた。
場所は奈良県と三重県の境にある山間の街だ。なお北には同じく忍者で有名な滋賀県の甲賀市(市名はこうかし)がある。伊賀にせよ甲賀にせよ、存在はよく知られているが場所や位置関係については関西以外の人にはあまり馴染みがないらしい。なぜならそれが忍者の隠れ里だから。あとえらい山奥だからだろう。

忍者の住処も今は電車も道路も通っているので、いくらでも行くことはできる。JR関西本線の伊賀上野駅からローカル線の伊賀鉄道に乗り換えた先の上野市駅で下車すると街の中心地へと辿り着ける。ちなみに上野市は2004年まで使われていた伊賀市の旧名だ。だから伊賀市役所は上野市駅のすぐ近くにあるのだ。

伊賀市は忍者の里ということで近年は海外からの観光客も増えている。しかし観光地として発展するにはパワーもマネーも不足しているらしく、大々的にアピールするのもなかなか難しいようだ。中心地には伊賀流忍者博物館や伊賀上野城もあるが半日もあれば見て回れる。少し前に伊賀市が8万5000ドル(約945万円)で忍者を募集しているというデマが流れて問い合わせが殺到したというニュースがあった。それも街を訪れたら無茶な話だとすぐに分かるだろう。というか本当なら私がやりたかった。

日本ではサムライブルーや侍ジャパンと侍のほうが前面に出ているが、海外では忍者のほうが圧倒的に人気者だ。黒装束で諜報や暗殺を行うアウトローなイメージが007やミッション・インポッシブルを想起させて格好いいからだろう。日本人の感覚だと盗み聞きや寝首を掻く卑怯者のイメージがあるから好かれないと言われているが、どうも最近は山田風太郎の小説やテレビドラマや、あるいは忍者ハットリくんやNARUTOの影響で、フィクションのイロモノという印象が強いからではないかと私は思い始めている。

主君だとか家だとか恥だとかにこだわって斬った斬られたしていた公務員風の侍よりも、任務遂行のために頭脳と体術を駆使して活躍するアスリート風の忍者のほうが今時は分かりやすくてクールだ。まあ「忍ぶ者」だから目立たないほうがいいのかもしれないが。そろそろ忍者の復権を目指した本格的な小説を書くべきかもしれない。そんなことを思いつつ、木にぶら下がる子供忍者の案山子を見て伊賀の里を後にした。

ちなみに丸い円盤を足に履く「水蜘蛛」は主に沼地を歩くためのもので池や川で使う物ではなかったそうだ。そりゃないぜハットリくん。

[一日三報]
[SankeiBiz] 出版社団体、軽減税率めぐり政府と対立 有害図書を除く書籍に適用要望、財務省は不快感隠さず

何かと話題の軽減税率。
書籍や雑誌にも適用されるべきかどうかは分からないけど、新聞が適用されるなら本も! って感じのアプローチでは難しいかと思ったり。
何が有害かそうでないか、それを誰が決めるのかって話もややこしいし。
そういや新聞って「何の見返り」と引き替えに軽減税率が適用されるようになったんだろうね。
「国民の知識とか知る権利」とか、そういうふわっとしたもんじゃなくてさ。

[CNN] 「米宇宙軍」、2020年までに創設を 副大統領が表明

見出しで期待して記事でがっかり。
戦う相手が違うだろ。
お前らのハリウッド映画を100回見直してこい。

[BBC] 中国当局、実写版「くまのプーさん」映画の公開認めず

主席と似ているから公開禁止。
でも当然のことながら、主席や政府関係者がその理由を示したことはない。
だからもしかすると、別の理由があるのかもしれない。
パンダの人気が脅かされるからダメとか。
赤いシャツを着ている癖に下半身丸出しだからダメとか。



8月14日(火)
[本日の独言(ひとこと)]
インターネットで見た英国BBCのニュース記事に面白いものを見つけた。
それは書籍を読む前から次々と買い集めてしまう、いわゆる「積ん読」に関する話なのだが、記事によると英語圏でもこの行為は「Tsundoku」と呼ばれており適当な英語名は存在しないそうだ。

もちろん「積ん読」が日本人固有の習慣ということはなく、外国人でもそういう人は多い。「積ん読」に近しい使われ方として「ビブリオマニア」があるが、これは日本語にすると「(古書などの)書籍蒐集癖」に近い意味となるだろう。「積ん読」をする人は別に書籍自体の希少価値を見て集めているわけではない。新刊でもなんでも読みたいから買い集めているだけだ。

ビブリオマニアとはまた違う話かもしれないが、以前に出版社の方と話していた際に「申し訳ないですが新刊はハードカバーではなく文庫での出版にさせていただきたい」と言われたことがある。それは一向に構わないが、なぜ申し訳なく思うのかと尋ねたら、作家の中には大きなハードカバーの書籍こそが正式な書籍であり、文庫本はその廉価版、すなわち安売り品であると思う方もおられるそうだ。歴史的に見れば確かにそうなのだが、今どき外見ばかりが大きい書籍を求める人も少ないだろう。そもそも私の著作はそんな類のものでもない。作って買って読んでいただけるなら、形式はなんでもいい。そのうち新刊は電子書籍だけということにもなるのだろう。

電書籍が主流になると「積ん読」という言葉も死語になるかもしれない。代わる言葉として「ダウンロー読」と呼ぶのはどうだろうか。弊著「ハイエナの微睡」も文庫版と電子書籍版が発売されている。「積ん読」でも「ダウンロー読」でもいいので手元に置いていただけると嬉しい。

[参考サイト]
Tsundoku……積ん読 それは本を買い、決して読まない技 - BBCニュース

[一日三報]
[CNN] 「メタルのフェスに行きたい」、老人ホーム抜け出すも途中で保護 独

テレビなどで高齢者介護施設などの様子を見ていると、よく入居者が揃って歌ったり手振りをしたり何か作業をしている。
非常に和やかなムードで心身の健康にもいいのだろうけど、将来もし自分があの中に混じることを想像すると耐えられないものがある。
いや、それはまだお前がそうじゃないからだ、ということなのだろうけど。
だからメタルのフェスに行きたいという気持ちはとてもよく分かる。
そして私はたぶん気難しい独居老人になると思う。

[らばQ] 「本の最初のページを開いたら、いきなり145ページだった…」著者が語るユニークな理由

気持ちは分からなくもないような。
まあページ数なんて、どこまで読んだかの印みたいなもの(あるいは著者や編集者による落丁の防止)だから、数字なんていくつでも良かったりする。
でも私としては、むしろ作品の1行目は1ページであって欲しいとも思う。
だいたい3,4ページくらいから始まるから。

[ITmedia] 後続車にメッセージを伝えられる車載向け透明LEDパネル「3Qsign」

渋滞で前の車にこんなことをされたら、微笑ましくて追突しそうになるよね。



8月7日(火)
[本日の独言(ひとこと)]
好きな作品、影響を受けた作品はなんですか? と質問を受けることがある。いつも言葉に詰まってしまい、いやあ、なんでしょうねえと、歯切れの悪い回答になってしまう。ないわけではない。ありすぎて答えようがないのだ。

小説作品となると、ありとあらゆる作品が気に入っており、影響を受けていると思う。真っ先に填ったのは安部公房だが、ミステリとなると島田荘司かもしれない。でも本当に好きなのは荒俣宏かもしれないし、夢枕獏かもしれない。一時、文豪と呼ばれる人たちの作品を読もうと思い立って、夏目漱石だの芥川龍之介だの太宰治だのと、国語の教科書に載っているような作品を読破した。大江健三郎と長野まゆみはいつまでも本棚に並んでいるし、ミステリに戻ると綾辻行人、法月綸太郎、我孫子武丸、有栖川有栖など新本格も大好きだ。横溝正史、高木彬光、松本清張、連城三紀彦なども言うに及ばず。『魔神館事件』を初めとする黒彦君の作品には夢野久作の登場人物の名を組み替えて使い、数年前には江戸川乱歩を再読破してやっぱり凄いなと感心した。他にもまだまだ、じゃんじゃんと名が上がり、どれが一番かなんて到底決められそうにもないのだ。(敬称略)

また小説作品自体も自分の中では一つの嗜好に過ぎず、漫画や音楽やゲームとなるとさらに収集が付かなくなってしまう。小説を書いていると漫画のワンシーンが思い浮かぶし、バックでは絶えず音楽が流れて、ゲームのように自分が参加している気分になる。そしてある時は昆虫に填って学術文献を漁り、子ども向けの図鑑に読み耽り、最近では「ハイエナの微睡」で書いたように動物のドキュメンタリー番組をよく観ている。それら全てが面白くて堪らないのだ。

というわけで、あなたが影響を受けた作品はなんですか? と問われても、何とも言えなくなってしまう。強いて言えば全ての作品、さらには人生という作品そのものの影響を受けたと言えよう。でも多分そんな答えは望まれていないだろうから、座右の銘のように一つ絞っておいたほうがいいかもしれない。やっぱり結局、総合力だと江戸川乱歩と手塚治虫だろうか。でもどちらも小器用過ぎるのが好みじゃないんだよなあ。

そんな苦手な質問にも頑張って答えたインタビュー記事が、下記に掲載されている。私が普段何を思って小説を書いているか、何に影響を受けたと答えているか、ぜひご一読ください。

『ハイエナの微睡』刊行記念 椙本孝思インタビュー 警察小説への挑戦状~リアリティの追求と破壊 | カドブン

[一日三報]
[産経新聞] 酷暑で蚊もへたばった? 殺虫剤売り上げ10%減、梅雨の短さも影響か

「へたばる」って方言だと思っていたが、どうやら標準語として通用するものらしい。
今回の猛暑はその高さもさることながら、夜もほとんど緩まず、連日に渡って高温が続いたことも異例だろう。
昆虫にとってはそのほうが厳しかったと思える。
とはいえ、そんなことでは滅びないのも昆虫。
どうせまたすぐ、じゃんじゃん出てくるだろ。

[Gigazine] 「命乞いするロボットの電源を切るのは難しい」ことが最新の研究から明らかに

今日のデイジーデイジー。
そんなことはHAL9000の頃から知っていた。
それでも私らは、まだロボットを機械として見ているので、いざとなったら容赦なく電源を切れる。
世代が代わって、人間と区別の付かないロボットが幼少の頃より身近な存在になれば、簡単には切れなくなると思う。
「対象ロボットの許可なく無断で電源を切った罪」みたいな法律もできると思う。

[ウェザーニュース] スマホ、パソコンの“熱中症”には10円玉が効く!

だったら、その10円玉で電話すりゃいいじゃん。
なんて思った私は、多分もうだいぶ色々と、古い人なんだと思う。